以前にも書いたような気がしますが。姿勢とは、形ではありません。漢字が表記している通りです。
勢いつまりエネルギーの姿です。勢い無くして姿無し。勢いって? 遅い自我が想ったり気負ったりすることで生じる力ではありません。波は海が(水が)自力でウリャーって寄せてオリャーって返すのではないように。
格闘技やスポーツ武道は、自力の増進やコントロールが必須なのかもしれませんが、古武術での「使える勢いの姿」は、自我のモチベーションによってとれるものではない。とおもいます。
と、つらつらと4回に渡って書いたはいいが、これだとまるで私が達人か賢者気取りなので、向きを変えます。想い、感情の話。
感情といえばこれも以前にどこかで書いた気がするが、エヴァ破。古今東西の映画の中で、ダントツに泣けて泣けて何十回観てもボロボロボロボロボロボロボロボロ涙が止まらない作品。
………………感情について、述べようとしたけれど。それこそ述べたところで何だというのでしょう。
ボロボロボロボロ涙が止まらない。
そんだけだ。
それからだ。
永遠ていう
言葉なんて
知らなかったよね
ええ、知りませんでした。そして私達は、そんな言葉を知る前は、永遠そのものでした。
永遠という「概念」と転生という「概念」はとても似ています。自我は何が何でも死にたくないが為に、永遠や前世や来世という概念をデッチ上げました。お見事。
つーか、自我自体が、概念そのものですけど。
武術で言うところの「居着き」。概念に居着くから身体も居着いてしまうのです。 解剖生理学とか運動科学とかね、これらは決して悪いものではないのですが、これらの理論に居着くんです。概念というやつはね。自我というやつは。で、遅いのです。今シリーズで言う「遅い」は、時速のことではありません。
永遠からすれば、速いも遅いも無いんで。
スピリチュアルだと、こういった話が結局また概念になってしまうけれど、武術やボディワークのいいところは、概念を鍛えても何もならないことが明らかなところです。
書を捨てよ身体に訊こう
ブログを閉じよ ちぶる整体へ行こう \(^o^)/
観察行と、受動的であること、は同じではないです。
瞑想やらをして、思考を止めた気になって、閃きや神の降臨を待ち構えているならば、それは瞑想ではなく「待ち伏せ」です(笑)。
しかし自我や思考を否定しますと、次にソレ達は何をするでしょう。自己否定、自己嫌悪です。自分は悪である、ここにいちゃいけない。自我は籠城します。身体にそれは潜伏していきます。
そしてまた受動的あるいは能動的に、落ち込んだり苦行に励んだりハウツーを探したりします(苦)。
このループから脱するために、スピリチュアル界からは提案が出されます、「自分を優しく抱きしめて」「ありのままでいいんだよ」 「悪抱き参らせよ」「ワクワクしてますか?」
はい。皆さんもうお気付きの通り。それを実践して抱きしめてワクワクしているのは… キャーっ!またオマエか(続)…
否定しても肯定してもハウツーを求めてもどうにもならないんだけどな。どうしたらいいの。どうしたらいいのってまた言ってるのは、何なの。
これじゃまるでエヴァQやな。つまらん。つまらんことしてたってしょーもない。さ、ポケモンポケモン。過食過食。セックスセックス。仕事仕事。つまらんつまらん。
…詰まってるわぁ…
ドン詰まりやないの! バシャールさーん!コーチ ! うわーん!
さて問題です。至福感多幸感を味わっているときに分泌されているという脳内物質はドレでしょう
1 コンドロイチン
2 ハミチン
3 セロトニン
4 ニンニンニン
答 そんなもんどれでもいいら
いないいないばあ。
いないいないばあ。
い な い い な い ば あ
「私」「自我」「エゴ」「思考」。これを宗教的スピリチュアル的にではなく、武術的ボディワーク的に見てみましょう。
自我からの意思、意図、からの動作は、固い。そしてリミットがある。そして何より、遅い。
とにかく初動が遅い。武術としては致命的なんじゃないでしょうか。たぶん、合気道を本当に出来る人とか、古武術や空手で「先の先」がとれる人なんかは、自我からの運動はしていないのだと思う。
固くて遅くて限定的な運動をどんだけ研いたところで、どこまでいっても固くて遅くて限定的な運動ですからね。やればやるほど固くて遅くて限定的になります。もしそれで何らかの成果が得られたら、どうなりますか。それを手放せなくなるのです。言ってる意味わかりますか。
かと言って。
動物的本能だとか火事場の馬鹿力とかアドレナリンとかをアテにするのは「俺本気出したらヤバイよ」「俺怒るとマジ恐いから」 って言ってるのと同じことです。やめましょう笑。
「遅い」ってことは、それより以前に、依然としてあるものがあるのです。それは何であるかは書けません。運動そのもので知覚しましょう。
「ちぶる整体は凄いです」というメイルを頂いた。
凄いのは、ちぶる整体ではなくメイルの送り主じゃんの巻ズラ。
この方は、長年のアルコール依存がパッタリ止んだ。
そしてもう一つ、自分が被支配弱者の立場で人間関係を保つことを、止めつつある。かといって支配側に回る強さを身につけたということでもなく、どうやら人と人のコントロールドラマの構造に気づいたみたい。幼い頃から「誰かの言いなりになる」ことで存在していられるというプログラムによる行動に、「待った」をかけはじめている。何だか楽しそうだ。いいなぁ。反作用もあるかもしれないし容易にチェンジできるようなものでもないかもしれないが、彼女は楽しそうだ。
ちぶる整体は、1%の努力と99%のヒラメ氣によって行われます。私個人のセンスとかアイデアとか才能とかがもしあったとしても、それは1%内のチカラでしかありません。99%は、私の何かではありません。