「私」「自我」「エゴ」「思考」。これを宗教的スピリチュアル的にではなく、武術的ボディワーク的に見てみましょう。


自我からの意思、意図、からの動作は、固い。そしてリミットがある。そして何より、遅い。

とにかく初動が遅い。武術としては致命的なんじゃないでしょうか。たぶん、合気道を本当に出来る人とか、古武術や空手で「先の先」がとれる人なんかは、自我からの運動はしていないのだと思う。

固くて遅くて限定的な運動をどんだけ研いたところで、どこまでいっても固くて遅くて限定的な運動ですからね。やればやるほど固くて遅くて限定的になります。もしそれで何らかの成果が得られたら、どうなりますか。それを手放せなくなるのです。言ってる意味わかりますか。

かと言って。

動物的本能だとか火事場の馬鹿力とかアドレナリンとかをアテにするのは「俺本気出したらヤバイよ」「俺怒るとマジ恐いから」 って言ってるのと同じことです。やめましょう笑。


「遅い」ってことは、それより以前に、依然としてあるものがあるのです。それは何であるかは書けません。運動そのもので知覚しましょう。