先日、ふと久々に簡易強健術を十種すべて通しで行いました。じつにすがすがしい。簡易強健術に対していささか否定気味な私ではありますが、ちゃんとやれば、すがすがしい。

ちゃんとやる、とは。

簡易強健術十種は、十種のアウターマッスルを鍛えるつもりで行うのではなく、全身の筋膜に刺激を与えるつもりで行う。それが私にとっての『ちゃんとやる』です。

筋トレは、膨らましたい筋肉をしっかり意識することで効果が上がるといいますが、私は強健術やシンタイコウをするうえでは、正確な動作をすることで自然と伸展&拡張する筋肉&筋膜を意識する以上には、キモチを込めることなどしない。 『中心』もまた同じ。正中心にキモチを込めるとか、あり得ない。




さて武術系ではとくに、なにかと型稽古が小馬鹿にされがちです。『型は使えない』とジャッジされがちです。
しかしそれは型の真髄を体で知らないからです。型をやりきれない人が、型は使えないという。そりゃそうだ。出来ていないのだから使えるわけがない。


では正確な動作とは。型をやりきる、とは。


必死に愚直に型をやりつづける、こととはまたちがう。現に私は簡易強健術はろくすっぽやりません。でも明らかに20年前、10年前よりも中身のある動作をする。
おもえば太極拳もそうでした。型稽古なんてすっかりやらなくなってから十数年後、中身のある型動作ができるようになった。
なぜか。

柔らかくて速いシンタイが、知性をもちはじめたからである。
型のために型をやるのでなくて、『シンタイ動作が正確であるために』やる。
シンタイの知性とは決して『頭で考えながら行う運動』という意味ではありません。

フリーライクな動作で身体を開放してゆくと、シンタイの『感性』は高まる。これはこれでよい。しかし『ほんとうの』型動作も決して、感性を閉ざしてしまうような働きにはならないです。知性が備わった感性が、型をやるのです。




つづく