二つ前の記事に『根性不要』と記述しました。
しかし根性という漢字をよく見てみれば、フツーに流通している意味あいとは、本来は真逆の言葉なのかもしれん。
『根の性』とは、我慢や自己虐待に耐える力のことではないのだから。

そういう本来?の意味では根性こそ必要になる(笑)。

言葉、文字は、『固い』。私も、同じ言葉を違う意味で使うことがあるとおもうが、その言葉をその固さのまんま捉えられたら、誤解なんていくらでも生じさせてしまうだろう。ネットでギャンギャンわめきあうことが社会問題になってるのは、画面上の文字が、画面を読む人の頭脳が、硬くなる一方だからだとおもう。

あえて野暮な解説をします。今回のタイトルを、ニュースで流れる言葉と同じには捉えずして、以下お読みくださいませ。
根性不要(必要)、虐待不要、努力不要等々という言いがたを、今回は『ゼロエネルギー』と言い換えることにします。
よーするに、シンタイコウは、いかにエネルギーゼロの姿勢動作呼吸をするかの研磨なのであります。睡眠よりも疲れないシセイを目指すものです。

そんなのナンセンス、有り得ない、と言いたい人もいるかもしれません、『エネルギーゼロなら運動なんて生じないだろ』とフツーは思うかもしれません。けんどの、ちゃうねん。最近つい関西弁が混じりがちだが、、もう少し東に寄せて言います、ちげーら。
『理由のない運動』には余計なエネルギーなんて生じないのです。もう少しスピに寄せて言いますと、愛のある運動に余計な浪費は無いのです。もう少しオレ節に寄せますと、疲れることなど一切したくねーんだよ。




肥田式強健術には姿勢のガイドラインがありますね。腰を反るとか腹を伸ばすとか胸を開くとか。そしてそれをどのようにやればよいかの身体生理学的指南も、古来の武芸よりは詳しく説明されているとおもいます。
近年の運動科学は更に具体的になっていますし、ヨガ的なやつでも、武術でも、より解剖学をもとにしたアプローチが進んでいるかとおもわれます。

そうしたガイドラインは大切だとおもいます。とっかかりになるからです。
しかし、

シンタイは、そんなに固いモノではありません。


つづく