人生五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻のごとくなり





睡眠から覚めてまず、天井板が視界に入りました。

子供の頃の家宅と同じではないから、当然天井も子供の頃に見てたやつとは別物ですが、なぜか、3才だか5才だかの頃に、独り、布団から見上げていた天井と、同じに見えた。



最近、巣作りが一段落した様子のツバメのつがいに会います。
いつもなら近寄るとすぐ飛び去ってしまうのですが、足音のしないサンダルを履いていたからか?それとも先日の野良猫と同じに、私の気配が察知 できないのか?しらんけど、たぶん♀ツバメは巣の上で、たぶん♂ツバメは少しだけ離れたところから見張るようなポジションで、静か〜にしておった。
が、水を流す音でやっと反射的に飛び去った。




私は、まだ幼稚園未満の頃は、独りでとても静かにしていたらしく、別の部屋で仕事をしていた親はよく(あれ?死んじゃったかな?)と思ったらしい(笑)。私自身の記憶としても、たしかに独りでジーっとしていたような場面がよく浮かぶ。

幼稚園児以降は、ごく近所の子のところへ遊びにも行きましたが、よく突然バックレるように帰ってました(笑)。
そしてちなみにその20年後、私は『横浜ばっくれ隊』というヤンキー映画に出演しました(笑)。
あ、でもバックレ隊の敵のグループ役でした。 バックレ隊の面々は、今となっては人気芸人になったピコ太郎もといコサカさんとかがいました。 私演ずる敵の副番長はたしか、電気椅子に座らされ、バナナマン日村がスイッチオン→失神させられました(笑)


あれからまた20年以上たちましたね。
私は相変わらず独り、 静かにしていたり、座ったりしています。電気ショックでなく天地ショックを受けながら(笑)(笑)








TVエヴァシンジの巻き巻きの一瞥体験では合点のいかなかったファン達の、誠心。





『悟った人』が『悟ったフリをした人』を一発で見抜けるのは、『リキミの無い人』が『脱力してるフリをしてる人』に触れるなり一見すればすぐそのリキミをとらえてしまえることと、似ているんじゃないかとおもう。

悟ったつもりの人も、リキンでないつもりの人も、フリをした人を見抜けることもあるだろう。

でも、自身が『つもり』でいることはなかなか見抜けない。 よって魔境とかいうものが存在します。


たとえば、胸式であれ腹式であれ、すんごくデカイ呼吸ができたとします。それは問題ないし、浅い呼吸しかできないよりイイことがある。
でも、たんなる健康法としてでなく、神秘メソッド的なアプローチで、呼吸を使って変性意識にもっていったり、うまく(というかヘタに)身心コントロールができたりすると、たぶん、人は、傲慢になる。生は自分でコントロールできると。


そして何故、ただしっかり座るだけの禅行に、禅病なるものが生じたりするのでしょうか。また、九年座りっぱなしで結局悟れなかったという達磨大師のような逸話があるのでしょうか。


メソッドやシステムは、すぐれればすぐれるほど、往々にして、たった1つのあるものが欠落します。
大ヒット曲がやがて懐メロになるのか名曲になるのか、はたまた何らかのメソッドがカリスマ一代で終わるかそれとも受け継がれていくかは、たった1つのものがあるのかないのか次第でしょう。




次回予定
『ジュウシンは両《腕》の中央に落とす。』








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