肉体が死ぬとき(臨死体験も含め)、脳は麻薬物質エンドルフィンがアホほど分泌されるといいます。
瞑想でも同じようになります。私の場合、正坐と瞑想では趣がちがいます。 正坐では神や仏やお花畑などのビジョンは見えません。何かうっすら見えたとしても見続けることは困難です。シセイがあらゆるモノノケを鋭い刃で切り裂いてしまいます。
かたや姿勢を立てず身心をフルリラックスするなら瞑想っぽくなります。ビジョンが見えたりします。そのときエンドルフィンは『死ぬほど』分泌されているような気がします。
そしてチョーキモチイイばかりでなく、『どうしようもない寂しさ』を伴うこともあります。 瞑想は臨死体験にソックリなんじゃないかとおもいます。まさに冥土への道行きだとおもいます。
霊能力者とか、アストラルトリップをした人は、予言をしたり予知夢を見たりすることがありますけれども、それはアストラルボディの現像化。予知の通りになることはあるでしょう。
しかしですね、アストラル体は『シンタイ』ではありません。
シンタイの現像化。それは『約束をはたす』ということです。
こうきたらああするとか、そうくるならこういくとか、結果成功するとかしないとか、当たることもあるが外れることもあるとか、そういった行為ではありません。
そんなことは、どうだっていいのです。
ネガをポジにするというのは、マイナス人生をプラス人生に変えるとかっていうより、
決まっていることを決めきるということである。
ヨガとか呼吸法とかで、会陰穴から氣を入れて背に上げて、といった説明があります。
では『どこから』会陰にナニヤラがくるのか。
強健術ではカカトからの反発力の使い方があり、仙術ではカカトから息をするという説明があります。すなわちそこからのチカラが会陰へと向かうわけです。
では『どこから』カカトにチカラがくるのか。
氣功、アーシング的なニュアンスとしては、地中からだといえますが、ここではシンタイ宇宙のルートを探ることにします。カカトにくるチカラは下肚からきてます。鼠径部のリキミをバコンと抜けば、勁のあるズッシーンと重い脚になります。 その重みはカカト経由で尾骨仙骨を立ち上げるチカラとなります。
では『どこから』下肚にチカラがくるのか。
圧力呼吸法で集めたチカラでは私はそのようなチカラは出ません。下肚のチカラは胸の奥の奥からストンと落ちてきます。
では『どこから』胸の奥の奥にそのチカラはきているのか。
胸の奥の奥は、エゴの墓場のようであるが、シン我のゆりかごがある。
ここからきっちり歩行するなら『無我』と『我在り』はべつに矛盾したことではないことをジッカンできます。
ここからたとえば蹴り技かなにかを繰り出すとします。とても重いキックになるでしょう。ガリガリ君の私でも。またたとえばヒザで相手の体を押さえきるチカラ(重み)なども、相当強いものになるとおもわれます。
こうして武術的なチカラとして説明すると、なんだか殺伐としてしまいますが、ほんとうはとても慈悲深いチカラです。
続き。
医学では、心臓と肺と脳の停止が『死』とされていますけれども。
私は、ちぶる整体施術をするとき、相手の仙骨を触診しています。鍼灸師が脈をとるような感じで、仙骨に触れます。
手首のようなハッキリとした脈動がそこにあるわけではないのですが、ただ触ります。そしてその行為は、触診と氣功を兼ねています。
仙骨からは生命の脈動をかんじる。それは心拍よりもとてもとても精妙な脈です。死体の仙骨を触ることができれば、やはりこれは生体こそが発している脈だとわかるかもしれませんが、そういう機会は現代にはないから確かめられません。
しかしよほど体を悪くしている人の仙骨を診たときでも、『あなたは全然死んでいないよ』という実感があるので、その根源的なチカラが活きてくるように施術をします。
でもね。
私がヘボ整体師だからという意味ではないが、私は『何もできない』。
医学でいう『死』は、単純に肉体の死を指す。個体の死を。医療は個体を生かす術に特化しています。
しかしながら私という個体は、個体ならざる生命のコントロールなど、出来ようがありません。
ちなみに本日こういう記事をしたためているということが、私という個体にとっては妙なタイミング(誕生日)だったりしているのですけれど。
次回予定
『キックの仏』
教育番組で、死に関する科学的考察をしてました。
DNA細胞の一部、テロメアという物質が無くなると、その細胞は死ぬということですが、以前、全然別の番組で、人工的にテロメアを減らさないための薬物を注射して、若返っているアメリカ人女性が紹介されてた。
でも今日の話では、テロメアを人工的に強化すると細胞はガン化するという。あの女性は今どうなっているのか。。
テロメアは、代謝と引き換えに減ってゆく。しかし唯一、テロメアが減らない細胞を作りだす所が存在する。生殖細胞です。精子と卵子のテロメアは最強だという。
これで仙術の『錬精化気(小周天)』は、科学的に解明されてきたということになる。精が漏れないということは、不老不死の可能性を秘めた細胞を保有するということになるからだ。
しかしながら、周天ではなく強引な禁欲の場合は、人工的なテロメア活性注射と、ややニュアンスが近くなるようにもおもう。体外に出ていく宿命の細胞を意志の力で出さないようにするなら、通常細胞とケンカすることもあるのではないのだろうかと。禁欲してる人は脳内で天使と悪魔が戦ってたりするでしょ(笑)それは体内を可視化できているってことですよ(笑)。
ちなみに大周天(錬気化神、練神還虚)では、養成した聖胎(神に化した気)をいつまでも肚に宿したままでは、行者自身の生命に危険が及ぶという。
その意味するところはなんとなくわかる。こさえて我がモノにしておけるのは『氣』までである。
こうして生と死は細胞レベルでせめぎあっている。それはイザナギとイザナミの神話の一件でも語られているのである。
しかし、じつは生と死の境界は、曖昧なのだという。死を定義する三条件(脳、心臓、肺の活動停止)は、どうやら絶対的には計れないらしい。ということは、仏教の『四十九日』もまた、じつは非常に科学的だといえる。
何個か前の記事で『チャクラはグラデーションだろ』とかなんとかと書きましたが、生死も同様なんだね。生物同士だって厳密にはグラデーションだしね。ワタシとアナタは、完全に別たれることが、事実としては無いのです。