私のチョー浅はかな知識で宇宙構造の話をしてもしょうがないので、リアルなシンタイの話をすすめる。
氣功(周天)では、首の一番上(頭との境)はとても氣を通しずらいところとされています。クンダリニーとかも同じじゃないすかね。ここが詰まって偏差とかクンダリニー症候群とかが発生する確率はけっこう高いとおもいます。
仙術では、ここらへんの氣の通過のさせかたを『牛車のような力強さで』と表現しています。
これはすなわち首のリキミは徹底的に抜かれなければならないことを意味します。
これは肥田式にとっても重要なことです。首のリキミがあるままに、腹とか腰をキメても、どこかしら『意念』によった姿勢づくりになってしまうことは否めません。
肥田式はインチキ武道ではないのだから、強い気持ちとかヤル気とか魂だとかを履き違えた意念で、姿勢をつくってはならないのです。
そうして宇宙の運行にまかせた(リキミのない)姿勢によってあらわされる腹腰は、とても安定しています。脚の力とかに頼った運動はしなくても済みます。
脚は、身体を支えてる風(ふう)なパーツだから、脚のリキミは格別に知覚しづらいものですが、脚の余計な仕事はさっさとやめなければ、肚はいつまでたっても培われません。 それには骨盤底や股関節のリキミはこれまた徹底的に抜かれなければならない。
だがここのリキミを抜ききるのもまた簡単ではありません。『生きるということはここに力が込もっていなければならない』という潜在的な感覚があるからです。
潜在恐怖といえばそれは横隔膜にも宿っていますが、逆にいえば、そういう処が開ければ、脚の奴隷制度もなくなるのです。脚を奴隷のように使っているうちは、己れも絶対に自由にはならない。