正拳突きでも肥田式の第四動作でも、あるいは塩ラーメン作りでもいいが、たった1つの型式を徹底的に掘り下げていくやりかたがありますね。 ただ1つのホンモノの結晶をつくるわけです。
どんなカタチでも、それが結晶であるならばそれはホンモノだとおもいます。図面を上手くひいたようなのはどんなに華やかでも結晶とは言わへん。簡単な亀甲紋のようなものでもそれが結晶ならそれはホンモノ。
でもシンタイコウは、どのようなカタチになりたいかを初めに決めてはいない。結果どんなカタチでもいいのです。
シンタイの結晶化とは、リキンでカタチをキープしていることではありません。かといって脱力というものも、わざわざ『する』ことではありません。
あ、そういえば昨日のヒクソングレイス運動は、ニュージーランド?の『ハカ』みたいに変わってきた。もしくはグルジェフのダンスワークみたいな胡散臭いものになってきた(笑)
でも腕がちぎれるんじゃないかってくらいハードな動作をします。上体のこわばりは猛烈に取れます。
かつて太極拳を習っていたときのような『まったく使えない護身術』にはなっていない。あの頃は氣も結晶もへったくれもない、転がる石っころだった(笑)。
ライクアローリングストーンでした。それがここまで変わるのは、その石が努力したからじゃあありません。