脚の勁道が太くなったようだ。

中心のチカラ、道は、細い針金の如くの一筋の線であるというようなことを以前にどこかで書いたかとおもうのですが、そのこととは矛盾するものではありません。車線が増えて渋滞が解消されたがセンターラインは1本であることに変わりはない、のと同じようなこと。

奇妙なのは、これらは、体内で感じていても、体より小さいわけではないということである。
これらからすればむしろ逆に体は些細な一部である。大小の問題だけでなく、その質が違う。どちらかといえば肉体のほうが奇妙で独特な限定装置である。 ひとときの夢を見るための映写機のようである。


遠隔ヒーリングとかを出来る人というのも、決して摩訶不思議なアヤカシの術を使っているわけではなく、一個体とは質量の違うコレをよく扱えるのだとおもう。私も遠隔伝波を使えないことはないようにおもう。でも、ヤル気がしません。出来る=やる という簡単なものではないとおもう。たとえば一撃必殺の腕の持ち主が、出来るからといってその腕をブンブンふるうわけでもないでしょう。

でも、ネットを介したリモートよりも、遠隔伝波がつつがなくフツーにおこなわれる世の中のほうが好きかも。