正中心力を示すときに云われる「腰腹同量のチカラ」。これを「天地陰陽の和合力」というような解釈をしてもかまわないようにワタシはおもう。ただし、腰腹 と言ったほうが実際的であるし、観念的気分的なボディワークに陥らずにすむ。


長谷川穂積が現役のとき、素手でシャドーをしているスロー映像を見たことがある。拳は握っていなかった。普通はボクシングや空手はインパクトの瞬間に拳をグッと握ると聞いていたので、それを見たときは「へぇ〜」とおもいました。シャドーのときだけそうしているというのでなく、試合で打つパンチも同じだというのです。


さて、肥田式強健術をおこなうとき、インパクトの瞬間、腹にチカラを込めるというのはどうなのでしょうか。
私の解釈では腹にチカラは込めないのが正解だ。身体前面は徹底的に力は抜くのである。上腕の筋肉を例にあげてその理屈を説明する。力コブを作るとき、上腕二頭筋は収縮する。三頭筋は伸びる。フツーだと人は収縮する二頭筋により一層チカラを込める。だがほんとうはそうではなく三頭筋を伸ばすことが肝要なのである。私は「三頭筋を伸ばす」ことのほうに意識を向かわす。こうして出来る二頭筋の緊張にはよどみがない。
腹を伸ばして出来る腰の緊張はこれとよく似ている。

チカラは込めないのである。込めないからこそ「充ちる」のである。
脱力がつまり「虚脱」でなく「出力」であるからには、身体背面には鋼鉄の芯が通るような姿勢を必要とする。このシンのチカラを十二分に発揮するには、身体前面はそれに反比例するかのように絶対的に柔軟でなければならないのである。真中心(上肚、第三チャクラ辺り)にある横隔膜は柔軟。しかしその背部の大腰筋上端 つまり脚の最上部にはシンのチカラをとおすのです。

腰腹同量とは、腰にも腹にもメッチャ力を入れるだとか腰と腹に等分の力を込めるだとかいうことでなく、腰には腰の、腹には腹の仕事をキッチリ割り振るということであります。それはまた、自我には自我の、真我には真我の仕事があるということでもある。