セット、シット、シン 2



氣をねばらせてみる。


シンタイコウの各動作を、太極拳の如くにシットリとした動作で行ってみる。身心を練るには加速度的動作よりもこちらのほうがよい場合がある。

加速度的動作を否定するのではないが、ハッキリ言って難度が高い。よほどの人でないかぎり「ナンチャッテ加速」しか出来ないようにおもう。 ひそかにどこかにブレーキをかけるのである。そうして身体内部のどこかに強い圧を加えても、それは中心力でもなんでもなく「無理な力」である。

かつて、太極拳の名人(名前忘れました)の演武を見たとき、突如として瞬間的に爆発的な激しい動作もしていたのを覚えています。今おもえばあれは肥田春充の気合応用術とか抜刀術に似ていた。
姿勢動作が完全に理に叶っているとき自然に加速的爆発的動作が生じる。

昔よく格闘技好きの人や空手の人や自称ケンカ強者が太極拳を嘲笑うシチュエーションに出くわしましたが、「ジッセン」しているものが違うのだから噛み合わない。
シットリと出来ない動作は「身に沁み込んでいない動作」といったっていい。何週間か休んだら全くできない動作や、落ちるスピードや、40過ぎたら落ちる一方の体力などは、真体功とは没交渉の刹那的な力である。


シットリと出来ないのに過激におこなう動作は「やっつけ動作」である。顕在イシキと潜在イシキの足並みが揃わない孤立した物質肉体運動になりがちです。

あえて太極拳や合気や肥田式などのことをやらなくとも、動的禅 をおこなう機会はどこにだってあるとおもいます。が、あえてそれをやるイミもある。それは、イミなくそれをやりたいからだ(笑)。







セット、シット、シン






これを暗闇では出来ないことが、如何に自分がクソな体術しか出来ていないかということを示しているようにかんじ、それが勘弁ならなかったため、ここ数日ムキになって、目をつぶってやったり、開けたりつぶったりを繰り返したりして、視覚による平衡感覚を混乱させながらこの運動をやってました。
大分安定して立てるようになってわかったことがある。

姿勢動作は目でなく「耳」でとらえるものである。
そして、耳はまた、仙骨の両側(仙腸関節のジョイント部)と対応関係にあるようで、これがつまり重要な問題なのである。


正中心姿勢における肥田さんの説明には「仙椎と腰椎の接合部を反り…」といった件があるが、それは仙椎の「上下前後」の様子である。左右つまり仙腸関節の直接の説明にはなっていない。
昔の解剖生理学の常識では仙腸関節は不動の関節という事になっていたらしいので、肥田さんはそれを承知で仙腸関節の説明をしていないのか?は知らないが、姿勢をキメる上で仙骨と腸骨を「ハメる」感覚や、その関節の微細な動きで運動する感覚を活かすことは、正中心姿勢正中心運動の超要点である。


姿勢はシッカリと緻密に組み上げたエンジンのようなセッティングを要求されるのであります。そしてそこではオイルがよく行き渡っている必要があります。


次回「シットリとした動作」の話につづく








前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2019年11月 >>
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
アーカイブ
カテゴリー