こまかく言えば、中心感覚は、肉体の感覚ではありません。腰や腹の緊張感覚や充実感覚は、「中心の部分的」な感覚(ややこしいね)である。
さらには精神的な透明感とか頭脳的な理解もまた、中心、とは言い切れないようにおもいます。それらは「中心がすこしあらわれた様子」でしかないのである。



つづく