新体道には「開放体正座」というのがあるというのを初めて知りました。膝を出来るだけ開いて座るらしい。やってみた。


‥!。 まるでまんま簡易強健術じゃん。脚は90度解放でビシッと姿勢が決まる。それ以上開くと統一身心は崩れる。解放エクササイズととらえるならそれもアリか。

で、私の体感としては、これは正座と蓮華座の中間のような姿勢感覚がある。中途半端というのでなく、いい案配である。良い座法ですね。



さてわたしは「礼儀作法」としての正座の価値なんてのは、どーでもいいことだとおもっています。ドレスコードとかにしてもさ、んなもん全部「錯覚」じゃん。正しい礼儀、マナーなんてものは時代の集団幻想でしかない。

正座の礼儀正しさの本質とは、まず自分自身への礼儀正しさである。
そういう意味では神道の作法にも似たものがある。神社参拝の仕方(手と口をゆすぐ、礼、拍手、礼)は自己に対する礼法でもある。超ボディワークだ。 そして「参道の真ん中を歩いてはいけない」という習わしは、真ん中が神様の通り道だからというのがその理由みたいだけれど、それはそうだとしても私はそこに自己に対してのシンの意味合いもあるようにかんじます。シンタイの真ん中はエゴがズケズケと通る道ではない、ということを示唆しているのさ。