おしらせ






いよいよ私もガラケーを、しぶしぶスマホに変えることに、とふとふなるかもしれません。


おもへば、このケータイを維持できなくなりそうなときがありましたが、忽然とあらわれたミスターXさんの支援のお陰で、今までこうしていることができました。

ミスターXさん、ほんとうにほんとうにありがとうございました。
また、当時、寄付を申し出てくれた奥山さんという方にも感謝します。そして、この場末のブログにずっーと付き合ってくださっている皆々様にも、ほんまにありがとうといいたい。



スマホに変えてもこのブログは継続できるはずですが、おそらく、しばらく、スマホ操作がおぼつかないのではないかと予想されます(笑)。ログインとかの仕方がわからないまましばらく更新が途絶えるか、ログインできなくてお仕舞いになるかもしれません。
そのようなことになるまえに、一応こうしてアナウンスしときます。よろしく。

あらためて御礼申し上げます。みなさま、ありがとう。









目覚めの時分





朝起きてしばしの間は、寝ぼけているというよりもむしろ、覚醒しているというか、自分が透明人間であるかのような、心地よさを超えたココチである。

そこからやがて日常のナニカ(というか過去から連続するジブンの記憶)にすっかり意識が向いたとき、それこそが 寝落ち の瞬間である。そうして日中、夢見の時間を過ごすのである。

睡眠中に夢を見ているときに(これは夢だ)と認識することがままあるように、日常という名の夢見時間でも、これは夢だとカンづくことはある。
夢の中にいると、いい夢を見ようとする意識がはたらくものですが、それは透明なイシキではありません。まさに夢中な意識です。



♪泣かないで 恋人よ
すべては うまくいく
泣かないで 恋人よ
どうにか なるようになる

(THEブルーハーツ、泣かないで恋人よ)



夢の中で努力とか苦労とか楽とかしたり、幸福を求めたり幸福感や不幸感を味わうのは各々の勝手なのですけれども。
過去の記憶を放映するのも、未来からのキオクを映写するのも、自由ですけれども。

自由なかんじの夢を見ていれば自由なのではなく、ワタシタチは、自由によって夢を見ているのです。 不自由な夢ですら。








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