マッコト正しいシセイとは。




『姿勢を良くしよう』と謳う本やHPではよく、悪い姿勢の例として、腰の丸まった猫背が紹介されます。
が、出っ尻でポッコリ腹の反り腰姿勢もまた、悪い姿勢として紹介されます。そう、 肥田式にソックリの姿勢です(笑)。

しかし肥田春充が示した姿勢と、悪い反り腰姿勢には、違いがあります。
悪い反り腰の人は、おそらく、坐骨が後ろへ逃げてしまっているかもしれません。
そして、シンタイコウで云うところの『上腰』が 入っていないかもしれません。
反れた腰&後ろにも前にも逃げない坐骨&上腰、で形成される腰のアーチ(背腰三角のチカラ。腰腹の弓を引いているようなチカラ)が無いと、たんに腰が前につんのめってるだけの姿勢になる。

肥田式=とにかく反り腰にする、というイメージは強い。肥田さん自身が他人に教えたとき、ただひたすら腰を反らさせたという逸話もあるみたいだし、結果、ソコばかりがピックアップされてきたのかもしれません。
しかし、良い意味での反り腰姿勢の、反れた一点ばかりに着目することは 賢明ではありません。

川を思い浮かべてください。水の流れはチカラの象徴です。
水はひたすら大海へと向かうのですが、流れは蛇行します。
身体を貫くチカラもまた、『蛇行して一氣』に流れるのである。
肥田春充は『凄く腰を反っている』のではなく、『腰腹がメッサうねっている』のである。太鼓腹ならぬ大河腹である(笑)

川の1ヵ所だけを無理くりカクッと曲げても(腰椎と仙椎の間を反っても)、それではチカラにはなりません。むしろ逆に流れがソコで滞る。そしたらソコは良い意味の中心緊張でなくヘンテコな治水工事をしてしまっているような状態です。

巷の良くない反り腰姿勢の場合は、半ば決壊してしまっているような姿勢でしょう。チカラは散漫になってるのです。


そして『身もフタもない』話になりますが、胸の門が開いてなければ、川そのものは、無いも同然である。

胸部ではなくハート。それはキモチではなくキモチよりももっと奥底の、本気中の本氣、誠意中の誠意、願い中の願い。
それこそが正中心に通じ、また、大海へ通じる唯一のミチである。シンのイノリである。真意の理である。
正中心はどこかと、アタリを探ってばかりいても、それは見つかりません。



で、滝を昇ってくる鯉がいます。誠意中の誠意は鯉を龍に変えます。肚で。
それを身体ワーク的に解説する次回予定
『踵といふ副丹田球と金玉と子宮と腎臓』

以降予定
『横隔膜っていう天の川』
『一二三シンタイコウ』





すべてのメソッドは、捨てられるためにある。




『仙骨からスイングすれば何十ヤード飛距離アップ!』的な見出しのゴルフ雑誌を見かけました。ペラペラめくると、治療家でトレーナーの方の、仙骨スイングや仙骨動作エクササイズが紹介されていました。

運動科学は、年々、進歩しているとおもう。氣とか正中心とかいった肉体ではないものにどんどん近づいていく。

しかし『仙骨(もしくは正中心)から動く』のは果たして正解なのか?ということについて述べたい。

まったく仙骨や下肚が稼動していない身体を、目覚めさせるうえで、そのような意識、そのような動作をしていくことは有効である。それまでとはちがった世界が拓けることでしょう。
だが、其処は真に動作の起点でしょうか?動作の中心でしょうか?
私はそのようには動作しません。


たとえ肥田式強健術をするときであれ同じです。正中心から動くつもりはない。

強健術では踏みつけ動作があります。踵からくるチカラを養成します。 だが、『踵からくる』とはいえ、身体動作は逆に踵を踏みつけ下ろすわけです。
大きな寺の門で見かける四天王像の足元を見ると、鬼を踏みつけているんですよね。マリア像も、蛇を踏みつぶしてる。
肥田式の動作はそれを連想させます。
だが、下肚にチカラをこめて踏みつけるのかといへば、ちがう。少なくとも私はそうではない。

そしてまた簡易強健術では、下肚(もしくは下肚の真下)に息を落としこむような練習をするかとおもいますが、それも、過程としては必要であれ、結局のところ、逆腹式呼吸では肚の底は抜けません。

横隔膜より下には、意志は存在しない。
息を落としこむとか、下肚で踵からくるチカラを受け止めるとか、そのような作業は、しないです。 それでも下肚、正中心は存在します。
上肚、上腰、真中心があるシセイをとっているからです。

でも、さらに云えば、ここもまた動作の中心ではない。

身体のどこかしらから、発動するということは、厳密にいうなら、ありえないのである。
上肚から動くというのもまた、しょせんはシンタイコウエクササイズです。
身体は、その背後から『動かされている』ものだとしても、まずは『背骨から動く』感覚の養成があるものである。
また、呼吸はどこからくるのかを知るうえで、どのように呼吸をするかをするのが、呼吸法の原点といふものである。






シンタイコウとシンエヴァがシンクロしない。(ネタヴァレ全然ナシ)




シンエヴァがいつの間にか公開しているというぢゃないか。


しかし、、唯一、徒歩か自転車でなんとか行ける距離にあるシネコンは、上映予定が未定だという。。

そして、、シンタイコウ一本やりな生活をしているばかりの私は、一般的生活を破綻させている((笑))ために、遠くの映画館へ行くことも出来ひん(;O;)

こればっかりは残念無念である。はじめてこんな生活をしていることを後悔しそうになっている(笑)。







真面ライダー。





ずっと以前に、ヤマハのVーMAXに試乗したことがありました。
ライオンと馬とサイを掛け合わせたような超猛獣が咆哮しながら突進していくようで、それに跨がっている私は大興奮しました。速いかといえばメチャ速いのですが、より適切にいうなら『強い』ってかんじでした。


一年前に浜でスケボーに乗っていた甥っ子は、気がつけばバイクに夢中になっていました。今春から社会人、田舎で暮らすならクルマが必須ですが、奴はどうやらフツーの感性をもっていない(笑)。超長期ローンで何十年も前の旧車を買いました。バカッ速の2スト、ヤマハRZ250です。さしもの私もビックリです(笑)。今ドキの18才が、バブルが膨らみはじめた時代のやつに乗りたいだなんて。どういう了見なのかサッパリわかりません(笑)。父親(私の兄)の遺伝子を受け継ぎすぎです。バリバリ伝説世代の。


バイクの趣味嗜好とシンタイ感覚はシンクロしているとしたならば、私のシンタイは、VMAXのような獰猛な強さは持ち合わせていない。
真体になるとは、誰かと比べて最強になるとか最速の頭脳になるとかではない。
誰が何をいおうがコレしかないぜっていうやつにのるんだ。そうでなければ乗りこなせないしつまらないしで、のること自体がイヤになっちゃうからね。

コレしかないぜってやつにしか、のれはしないのだけどね。










シンセイなる





上肚が意識できても『上腰』が明確にはなっていなかったこの数年間は、たとえるなら『丹田感覚はあっても腰を入れていない姿勢』のようなものだったのかもしれないです。
なんとなく上肚から動けば一番バランスがよくチカラも出しやすいということでしかなかった。
だが二段腰が入った。
ここもまた腰腹同量である。
そして、『真』と『正』もまた同量である。
真正中心である。
正中心がキマるのは真中心もキマっているからだ。


太陽系を見たとき、太陽は中心です。でも人間感覚としては、地球が中心です。そのようなもので、人体宇宙の中心も、一点だけがあるのではないです。

一点一点に姿はありません。でもその勢いを顕します。それが姿勢になります。それがヒトのスガタだ。








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