不老するFLOW

今日は異常な気候に影響されてか偏差的な症状か知らねども、頭が痛くて痛くて錯乱気味になったあげく気を失うかのように意識が遠のく中で、丹田の奥底を知覚した、ような気がした。

各丹田は身体上にそれぞれ位置があり、距離があるが、ほんとうはゼロ距離なのだ。神経伝達やら氣の走行で連動するとかじゃなくて、それらは同期しているのである。これは朦朧とした頭の錯覚ではなさそうだ。

さて真体バックベンドゥ(笑)の型を今一度見ていただきたい。ちょっと解説する気になったので。




このとき腰はギュッと締まっている。大腿四頭筋はギューンと伸びている。股はリキまない。脊柱の深層筋は、『おのずと』働いている。 身体の後方の軸が、非常に活性化するのである。 私的には、肥田式簡易強健術をやるよりもかなりダイレクトに身体軸がハッキリする。

腹筋背筋トレーニングとの明らかな違いは、反復動作をしてその筋力をつけるわけではないことである。身体はひとつ。バラバラに分けてパーツを強化などしない。

簡易強健術は十種あるけれど、あれはすべて中心力ありきの型なので、それぞれバラバラに各筋肉を鍛える運動なのではない。それと同じに、この運動は、統一のチカラ。仙骨に付着する筋肉は非常によく使われて、身体の背面から全身にかけてポカポカしたりスッキリしたりする。

ただし。チベット体操とかいうやつを私はよく知らないが、効能がありすぎてむしろヤバいとかいう話を聞いたことがある。仙骨周辺をやたら活性化するこの運動も、クンダリニー作用ともかかわってくるように感じている。エネルギーが活性化する=健康、ハッピーとは言いきれないと私はおもう。ヘタに張り切ってこの運動をすることは、無条件にオススメするわけにはいかないかも、と一応申し添えておきます。肥田春充が肥田式強健術を一日何回もやらないのも、同じような理由があるかと思われます。





フロウするフロウ 3

茶の間のテレビジョンで、大成功したベンチャー企業の社長が言っていました

『チャレンジ→失敗→を、罰しない』


ステキ。これを肥田式強健術になぞらえて考えてみる。

動作チャレンジ→失敗→


……失敗て何。肥田式における失敗てなんなん。腹が充実しないこと?重心が脱落しきらないこと?正中心が決まらないこと?
『フン!』と動作した結果、成功したか失敗したか、などというのは変な話である。
ま、とりあえず、今イチ良くできた感がない場合を失敗と定義するとしましょう。

動作チャレンジ→今イチ失敗→

んじゃ成功するまでやろうや、ですよね。いちいち罰してたら、ほとんどの人は無期懲役刑になるとおもいます。


やがて成功する自身の胎動である、失敗感覚なんてものは。 そして成功とは、肥田春充と同じ身体と能力を獲得することではない。

真体功は成功しかしない。



フロウするフロウ 2

名選手&名監督であった元野球選手が、投手の『走り込み』という練習がいかに重要かを語ったそうですが、ある現役名投手は、それをまるっきり否定したそうです。自分も周りの一流選手も、誰も大して走り込んでねーし、と。


私はこの話から思い出したことがある。ある空手の師範が、筋力を否定しがちに古武術を習う人達に対して、『どうでもいいけど足腰は鍛えなければどうしようもないよ』的に、釘を刺す発言をしていました。


真体功的わたしの論としましては、こういいたいです。元選手と空手師範の論、方法は、決して間違ってはいないだろうが、古い。そして雑。

真体功としましては、『走り込み』はたぶん『散歩』に相当します。歩いて歩いて歩きまくりさへすれば、クンフーになるかというと、それはちがうのです。沢山スクワットすれば使える武術の足腰になるのか?ちがうだろ。

頭でっかち、ヤミクモ。どちらも中芯線が通っておりません。
方法の正解不正解を決めるのは自分であるけれども、『私の成功』『私の失敗』『私の体験』は
『成功』『失敗』『体験』よりも、遅くて古い。下半身のチカラ不足は傲慢によるものであり、下半身の鍛練は怠慢である。


♪大変だ 真実が

イカサマと手を組んだ

誰か僕に約束の

守りかた 教えてよ




すべての罪は

みんなでわけましょう

みんなでわけましょう


(ブルーハーツ シャララ)







ジョーカしたジョー

♪サンドバッグに 浮かんで消える

憎いあんちくしょうの
顔めがけ

叩け 叩け 叩け

オイラにゃ ケモノの 血が騒ぐ

だけど るるるる

るるる るる るる る

(あしたのジョー 主題歌)


AIやITがヒトに自由をもたらしているのか不自由をもたらしているのかはサッパリわかりませんが、クンダリニーが幸福をもたらすのか不幸をもたらすのかも、わかりません。悟りや解脱や聖中心や大周天などといわれることに『私』というものが到達することは永遠にないというのは、十五年も前に気がついてはいた。

漫画家のちばてつやさんは、子供のとき、終戦後の満州から帰還してきたそうです。終戦になった途端、日本人は中国人やロシア人から叩かれたり連れ去られたり殺されたりしたんだそうです。日本への引き揚げ船に辿り着くまでの道のりでは、歩くのを止めることは死を意味したんだそうです。

ジョーが真っ白に燃え尽きることができたのは、完全無欠の王者ホセとの死闘を全うした、ということだけではないでしょう。試合後外したグローブを、白木葉子に渡しましたね。 あのとき、『だけど るるるる…』も、終わったんだ。最後のジョー、微笑んでいたもの。

あのラストカットは、岩崎ちひろさんの絵の影響を受けて描いた画だそうです。ちひろさんの絵のごとくに、足し算していない絵を描きたかったんだそうです。







フロウするフロウ

『クンダリニー症候群』で検索をしていたら、オウム真理教に関わるページが色々出てきた。それは当然といえば当然であろう、が、私は私で当然のごとく、オウムやアレフなどのページは今までスルーしてきた。

が、たまたま今回は、元出家信者(犯罪の実行犯ではない)の回想録的なブログに目を止めた。オトシマエをつけるべく?過去と向き合うかのような執筆作業をしているようだった。私はその文に夢中になり、それから、他のオウム真理教について伝えるブログ(布教目的のではなく、過去の事実を掘り下げた記録的な諸々)を、あらためて、調べていった。今さら『オウムにハマッた』のである。


知れば知るほど、冷や水を浴びせかけられるような気分になった。猛暑だからそれも悪くはないが、芯から寒くなる場面もあった。 修行という名のチカラの獲得作業は、スポーツトレーニングと同じようなもんであるが、よりヒトの核心へとタッチしてゆくゆえに、OpBつまりオープンザパンドラボックスなのだウィッシュ。 昨今のスポーツ界の諸問題よりも遥かにややこしいことになるのだ。

アサハラ及び教団があんなことになる以前の話で、アサハラは説法か何かで修行についてこんな感じのことをいっていた
『修行方法以前に心構えというものがあります。殺生をするな。ウソをつくな。(他三つあり、五戒としていた)』
これは真っ黒なジョークでもなんでもなく、この時点で彼は本気でそう言っているのである。


スピリチュアル系で言われるアセンションだのそれを阻む闇の勢力の陰謀だの、さあ宇宙デビューしようだのっていう話は、オウムが言っていたハルマゲドンだ救済だ米軍の毒ガス攻撃を我々は受けているだのと言っていた話と変わらない。

大きくくくりだしたら、どれもこれもオウムと変わらない。エヴァだってそう。真体功なんてオウムの出家信者やアサハラの修行や神秘体験とくらべたらそうとうチャチではあるが、変わらない。
何か決定的に違うものがあるような気がしないでもないが、同じものだらけではあるのである。

80〜90年代当時の私にとってオウムは眼中になかった。ファーストインプレ的にあのクルタ服が最高にダサく感じたからである。私は単なる社会生活においても、仕事の規則だのドレスコードだので、着たくない服を着せられることだけはほんとうにほんとうにガマンならない。そんな性格やセンスのおかげ?でたまたま私はオウム真理教とは縁起がなかった。
現在においてもアレフやひかりの輪などに興味はない。ただ、いたたまれない思いを抱えて生きてきた脱会信者、その個人個人は、とても興味深い。というか正直、そのブログを読んで胸が熱くなったりもしました。

私は当時は、役者を目指していたというか、月収十万位の役者でした。コインロッカーベイビーズが映画化されて俺にオファーこないかなあなんてそんな妄想ばかりして何の努力もしてませんでしたが。 オウム事件についても、このことはいつの日か映画化されるだろう、その時は…なんてことも考えてたことを思い出しました。
私は私でワタシの、成仏さすべく生を、ずっと抱えて生き死にしてきたのだ。合掌。真体功。







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