頭の脱力。

歯をくいしばらないことや瞳孔のフゲイとも関わっていることですが、頭蓋骨の縫合(ヒビ)のちからを抜きます。
そんなもん抜くとか力むとかする場所なんかい?とにかくよくわかんねーよ、とお思いの方は、鑑別所でヒマをもて余した矢吹ジョーのようになって、とにかくそれ以外にやることなんて何もないのだとばかりに、頭の骨という骨のアイダの力を、抜くべし。抜くべし。抜くべし。

頭の力が抜けていくのを、観るべし。観るべし。観るべし、という言い方のほうが事実に近いです。

頭と骨盤は相関関係にあるように感じます。どちらも柔らかにする。固めない。骨盤だけ柔らかでも頭が固いと、エネルギーが頭で滞って偏差のような症状を起こす。氣だろうが体液だろうが、本来止まることはありません。肥田式の、キメ動作→呼吸停止3秒、という教えは、止めろ固めろという意味ではない。それをやってしまったら問題が発生するのだ。

有名な禅師のナンソの法とかいう有名な偏差解消法があるが、私は詳しいやり方覚えていないですけれども、頭の関節のリキミを解放すれば勝手に頭頂がゆるんで氣が頭上から肚までスーと通ります。イメージ法とかマジ要らないです。

思考を手放す的な事も自動的にともなうので、瞑想行とかも要らないです。

引寄せの法則とか、脳科学だかで言われる内部情報の書き換え?とかいうやつは、そんなフラット化した頭にまた何かを入れ込もうという作業なのか?わかりませんが、真体功は、そこからさらに下へ、下へと向かう。

こうして言葉にするのは簡単でも、実際はそう簡単じゃなかったりしますけれども。
何よりもこれが優先されると感じられる人なら、出来る。出来なくてもやる。誰に言われなくてもやるし、誰に誉められなくてもやる。『やる』っていうのは、意志や努力による行為ではありません。それでは全く頭の脱力は出来ないからです。 面白いでしょう。