『クンダリニー症候群』で検索をしていたら、オウム真理教に関わるページが色々出てきた。それは当然といえば当然であろう、が、私は私で当然のごとく、オウムやアレフなどのページは今までスルーしてきた。

が、たまたま今回は、元出家信者(犯罪の実行犯ではない)の回想録的なブログに目を止めた。オトシマエをつけるべく?過去と向き合うかのような執筆作業をしているようだった。私はその文に夢中になり、それから、他のオウム真理教について伝えるブログ(布教目的のではなく、過去の事実を掘り下げた記録的な諸々)を、あらためて、調べていった。今さら『オウムにハマッた』のである。


知れば知るほど、冷や水を浴びせかけられるような気分になった。猛暑だからそれも悪くはないが、芯から寒くなる場面もあった。 修行という名のチカラの獲得作業は、スポーツトレーニングと同じようなもんであるが、よりヒトの核心へとタッチしてゆくゆえに、OpBつまりオープンザパンドラボックスなのだウィッシュ。 昨今のスポーツ界の諸問題よりも遥かにややこしいことになるのだ。

アサハラ及び教団があんなことになる以前の話で、アサハラは説法か何かで修行についてこんな感じのことをいっていた
『修行方法以前に心構えというものがあります。殺生をするな。ウソをつくな。(他三つあり、五戒としていた)』
これは真っ黒なジョークでもなんでもなく、この時点で彼は本気でそう言っているのである。


スピリチュアル系で言われるアセンションだのそれを阻む闇の勢力の陰謀だの、さあ宇宙デビューしようだのっていう話は、オウムが言っていたハルマゲドンだ救済だ米軍の毒ガス攻撃を我々は受けているだのと言っていた話と変わらない。

大きくくくりだしたら、どれもこれもオウムと変わらない。エヴァだってそう。真体功なんてオウムの出家信者やアサハラの修行や神秘体験とくらべたらそうとうチャチではあるが、変わらない。
何か決定的に違うものがあるような気がしないでもないが、同じものだらけではあるのである。

80〜90年代当時の私にとってオウムは眼中になかった。ファーストインプレ的にあのクルタ服が最高にダサく感じたからである。私は単なる社会生活においても、仕事の規則だのドレスコードだので、着たくない服を着せられることだけはほんとうにほんとうにガマンならない。そんな性格やセンスのおかげ?でたまたま私はオウム真理教とは縁起がなかった。
現在においてもアレフやひかりの輪などに興味はない。ただ、いたたまれない思いを抱えて生きてきた脱会信者、その個人個人は、とても興味深い。というか正直、そのブログを読んで胸が熱くなったりもしました。

私は当時は、役者を目指していたというか、月収十万位の役者でした。コインロッカーベイビーズが映画化されて俺にオファーこないかなあなんてそんな妄想ばかりして何の努力もしてませんでしたが。 オウム事件についても、このことはいつの日か映画化されるだろう、その時は…なんてことも考えてたことを思い出しました。
私は私でワタシの、成仏さすべく生を、ずっと抱えて生き死にしてきたのだ。合掌。真体功。