自然農法のパイオニア、福岡正信さんのエピソードをひとつ。
福岡さんのもとへは、世界中から若者が手伝いをさせてもらいながら、農法、思想、生命を学びにきていたそうです。晩は囲炉裏を囲んでの語らいがあったそうです。
ある晩。アメリカから来ていた娘に、福岡さんが尋ねました。「あなたは何故ここにきたの?」 娘は答えました。「私は自分を探しにきました」
福岡さんは聞き返しました、何のてらいもなく
「あなたはそこにいるじゃないか?」
娘はハッ!と目を覚ましたような表情になり、翌日には帰国したそうです。
24 イイネ!
探しものは何ですか
見つけにくいものですか
睡眠中に見る夢と、現実の、ゲートが開いてしまひました。パカッと。
二つは同じものです。現実の方が固くて遅いので、違う感じに感じますが、二つは同じものです。
それはどちらも、心が見ている夢です。
ヒキヨセのホーソク的に、夢の内容をコントロールしたいと望むか、悟りを開いて夢から覚めたいと望むかにしろ、どっちこっち夢の中でのことです。現実の中で心の修行をして覚醒したような心になってもそれは夢ですし、現実のの中で心か凄いものをヒキヨセても、それは夢。夢の中で何かに襲われてもそれは夢。探しても、見つけても、逃げても達しても、夢です。
心霊とメンタリズムは、同じようなものですが、心霊のほうが睡眠中の夢に寄ってます。デタラメなところがね。バーチャルゲームと心霊占いは同じ。夢の中でさらに夢を見る行為。
この記事にしても、夢の中で「これは夢だ」と言っているだけです。では、どっちもこっちも夢ならば、全ては夢で、夢ではないものは存在しないのか、という話になってきますが、、。これにてこの、夢の記事、記事の夢、おしまいなり。
ニンニンニン
ニンニンニン
ニンニンニンたら認認認
名も無き人さん、コメントをありがとうございます。
もしもーアタスがー 家をー建てたならー
縄文竪穴式住居をー建てーたーでーしょーーぉー
物質万歳、経済ワッショイ、ゲットゲットゲットこそ正義の現代文明のオカゲで、沢山の人が生存できていて、その一人として私もまんまと生かされているからには、スポーツ選手のように開口一番感謝を述べて何かに向かって汗をかいていかなければ ならないのかどうかわかりませんが、私は努力や苦行や生産効率の追求や、四角いモノが 好きになれません。
しかし現代社会は四角いモノがそこかしこに溢れかえっています。私が潜在的に破壊衝動とか破滅願望を持っているのは、どうしたって視界に映ってくる四角いモノへの無意識の反応なのかもしれんぞな、もしもし。
と、そんなネガティビティについて文を綴るのも楽しくはないのですが、 これは今回の記事の核心に通ずる話でもあるのでやす。
腰痛は、「溜まりに溜まった不満」が原因だということが、往々にして、見受けられます。
首痛は不安、腰痛は不満。その中間は、不信でしょうね。
するてえと、痛みや病みというものは、心と体、どっちもケアしさえすれば良くなるのかというと… そうは問屋が浅草橋。
そうではないんです。
ボディケアとメンタルケアで大概が治るんだったら、私はこの仕事は、もうやっていないことでしょう。
瞑想をして、無念無想になろうとして逆にザワザワソワソワしてしまうだけだったり、すぐに眠くなるだけだったりという方もいるかと思います。
コツのようなものがありますので、書きます。役に立つ方がいれば幸いです。
「えーと、それはつまり」
「どのようにして」
「ねばならない」
この3つの思考パターンにエネルギーを向けないことです。これが出来ればただ呼吸と共に在るだけ、のような静寂が訪れます。思考パターンに「自分」をピッタリくっつけていることやエネルギーを注入していることを発見して、それをやめる。そんだけ。
ここまで読んで面倒臭い感じがする人は、もう読むのをやめましょう笑。人によっては面倒臭い話です。
瞑想をなぜ行う必要があるのか。別にやらなくてもいいと思います。
瞑想をすると何が得られるのか。何も得ません。捨てて捨てて捨てるだけ。何かを得たい人は集中とかヒキヨセのナンチャラとかをやるべきでしょう。
想念ループをグルグルさまよったまま座り続けているだけ、にならずに済み、早く楽しく瞑想体質気質になれる面白運動があるのですが、これはまたいつか書くかもしれないが、今日は書かない。
「借金で首が回らなくなる」という表現がありますが、借金に限った話でなく、何らかの心配事により、人の首は本当に回らなくなります。
そんな時、首の骨を矯正することなどナンセンスです。そんな時、「心配すんなよ」などと、上から言うことも無意味ですし同情を込めて言うことも不毛です。そんな時、「そのままでいいんだよ」的なスピリチュアルメッセージが役に立つことはなく、首はそのままです(笑)。
心配事が、金、恋愛、仕事、など、それそのものが解決して済むならそれで治ります。
しかしそうでなく、その奥にもっと根源的な心配が潜んでいる場合があります。
はみちんサーブは、オリンピックの試合でやったら、注意されるのではないかと、心配です。