リラクゼーションの仕事を始めたばかりの大昔の頃の話をします。

客を相手にするのはまだ10人にも達していなかったのではないかという位の新米中の新米の時に、施術を終えた御客さんが顔を上げると、ボロボロの涙でメイクも落ちてくしゃくしゃになっているではありませんか!

何だ!?私は何かマズイことをしちまったのか?と一瞬アセリましたが、その人は「うぅ…キモチが良すぎて感動してしまいました…ごめんなさい。ありがとう。」と言った。

どう考えても当時の私の腕がそんなにスペシャルな訳はない。しかしその人は子供のような表情で清々しく純粋な笑顔で帰っていく。

自分の腕は、間違いなく未熟だと自覚していた。だからこそ逆に、ひと押しひと押しとても真剣で、とてもキモチが込もったタッチだったのだろうと、後になって理解しました。氣というよりキモチもまた、伝わる。


40才位の時にボディケア業の講師を務めた時、キャリアの浅い人達に、「あなた達は今の時点でも、とてつもない武器を一つだけ持ってる」といって、キモチの話をしました。

思考感情を否定するかのようにも受けとられかねない記事を書いたり、氣は気分ではないと書いたりしてますから、キモチを肯定する話を意外と思われますでしょうか。


氣でもキモチでも、それはテクニックではない。そこは同じです。矛盾やウソの存在しない状態、そこは同じ。