余計な思考や感情は、身体に情報化、パターン化されて染み込み、動作の癖や緊張として形成され、ある意味それで「物体」と化しています。

よって、ヒトは思考や感情を「自分」「自分のもの」だと感じて信じて疑わないのでしょうね。

それで何の問題も無く生活ができていると、尚更、何の疑問も持つことはありません。それが為に何らかの問題が生じ、にっちもさっちもいかなくなるまでは。

思考や感情を引き離すということは、自分がバラバラの滅茶苦茶になってしまうかのような錯覚をしてしまいます。ヒトが瞑想をうまく出来ない理由はこれです。 成功哲学や御利益スピリチャルや、リキミ寄せの法則が流行る理由はこれです。引き離すことはせず、もっと都合の良い思考感情にすり替えればよいのだと言うものの方が、ウケるのです。


ちぶる整体を受けたのをきっかけに、癒着していた思考感情とサヨナラできた典型的な例は、例えば記事「自己への帰還」などにも書いた(コメントもくれた)、みつばちさんの例です。

ただ。 大抵の人は、そんなことを望んでいません。望んでいないことをやる必要はありませんから、しません。身体が楽になった、スッキリした、痛いところが良くなった、それで十分だ。

もっと深い何かを本人が望んでいるのに簡単にはいかない場合もあります。回を重ねないとそう簡単にはいかないケース。しかしそうでなく実は本人の望みは御利益スピリチャルの類いだった場合はね、何度やってもちぶる整体から得られるものは何もないことでしょう(笑)。