♪ああ人は むかしむかし 鳥だったのかもしれないね

(中島みゆき この空を飛べたら)



古墳の形やナスカの地上絵とか、各聖地の点と点を結ぶ線(レイライン)が天上から見ると幾何学的図形をしていたりとか、一体、誰の目線でそういうものが配置されているのかとおもいます。でもレイラインは、見るためのラインというよりもラインが即ち点と点つまり各パワースポットをパワースポットたらしめているシステムの表れなのだろうとおもいます。

身体の正中心についても、とても似たようなものを感じます。正中心点、正中心力とは、それにまつわる各所の絶妙な配置つまり姿勢の取り方で立ち現れるものである。しかしながら配置といっても、それはひとつひとつ「置きにいく」ものではない。置かれるべくして置かれるのである。その設計図は、もともとは目に見えぬ正中心自体が備えているものである。

ですがそのチカラをはじめからズバリ悟得できない私達は、骨盤底筋や腸腰筋をどうするとかリキミを抜くためにどうするとかいった、具体的なエクササイズをいろいろとおこないます。ボディワークだからです。正中心を漠然と信仰することではないからです。

しかしまた、そうして真摯に向き合ったとき、それをほんとうにやるのは身心そのものではなく、身心の奥の奥の奥底の、身心の主のチカラであると、かんじずにはおれないのであります。