セミは鳴くときにケツを動かしているということを、はじめて目撃した。
ミーンミンミンミンミー(コークコクコクコクコーク←ケツ)。

ミーンのミーでメッサカラダが反っているのだ。 まるで肥田ゼミだ!

するてえと幼虫からの脱皮はまるで…アレだな

その姿を見ていて、おもった。わずか数日のセミ生活は、果たして「短い」のだろーか?と。パワフルな聲と姿勢と飛び具合に、肥田春充の意外に短かった生涯が脳裏でカブるのだった。さらに短い生涯だった野口晴哉の「全生」という言葉も浮かぶ。

夢から覚めたヒトはえてして、さほど夢に長居はしないのではないだろうか。


今朝の記事更新が朝早いのは、けたたましいセミの聲と変な夢見のダブルパンチに起こされたからである。
私は中心練修会に久々に参加をしていた。はじめは三宅先生を入れて私ともう一人(中澤さんと誰かが合体したような?初対面のような初対面ではないような人)しかいない。なんとなくクッチャベってるうちに、一人また一人と人数が増えていってる。私は誰彼となくクッチャベっているだけで練習しない。

そしていつの間にか何百人に増えてる。随分若い人達もいる。十代の女の子が私についてきてペアを組んで練習しようとする。全然肥田式とかやりそうにない雰囲気なのにと思い、私はその娘に「なんでココきたの」と訊く。娘がこたえる。「だって戦争は絶対反対だもん。そうでしょ?オジサンもそれでココに来てるんじゃないの?」

…あ、あぁ、まあ… と私はテキトーに相づちを打つが。。どうやら皆さん、戦争を終わらせたい人がなぜか集まってきてる らしい。

反戦のカリスマみたいな人がどうやら肥田式を紹介したことにより、中心練修会を知った人達が押し寄せてきたみたいだ。 私はふざけたブログを書いてるブログ主だということを隠したがっていた(笑)。

しかし、多くの若者は肥田式も似合わない雰囲気で、反戦思想にしても、70年代のような独特さは無い。さっきまでゲームやインスタやってました的な子達である。
どうやら、「戦争」の意味が、国と国が武器でドンパチのことだけを指してはいないようだ。

とても広く深い意味での、戦争を終わらせたいとおもった人々が静かではあるが内側に秘めた強い熱気で集まってる…なんということだ…この場をどうしたらいいのでしょう、三宅さん。ん?肝心の三宅先生はドコいるの?

三宅先生は別室みたいなところで大の字になって寝ていた。ハラ、デカっ! ハラでかいっす。何をするでもなくそのハラ見せてりゃ何もする必要もないような気がした(笑)。



…この記事を書いてるあいだ強烈にわめいていたセミ達が、いつの間にかまるっきり騒いでいない。 鳥はチィチィ。

どれが夢なんだか。