私は霊能者ではないので確たることは言えないが、あのテの世界のカラクリは、おそらくおよそこういうことである

人は何らかの想念が起こる。想念はエネルギーである。想念エネルギーは同調する。拡張したり変異したり活動する。守護霊だの悪霊だの前世だのは、漂う想念エネルギーの擬人化である。
90年代のブーム時に織田信長だのマリーアントワネットだのジャンヌダルクだのが前世だと思っている人が複数いたりしたのは、象徴的エネルギーの人気者だからである。大抵は非業の死を遂げた人物とか振り幅の大きな人生を送った(と語り継がれる)人物が選ばれるのはエネルギーがわかりやすいからである。


自分でエネルギーを感じるのは勝手だし、霊能者が感じるのも勝手だが、実際は守護も過去も誰かもへったくれもなく、要するに「今漂っている想念エネルギーの説明」なのである。

そういうことだから、想念エネルギーに振り回されている場合を「憑依」とか「悪いカルマ」「闇の宇宙人」といい、調子よいなら「守護」とか「徳」「光の戦士」という。

人は想念を発しつづけるので、大きくくくりゃあ誰でも憑依されっぱなしである。そこで人はできることなら良い霊に憑依してもらおうと、いろいろやる。


それらのことをボディワークでいうならば、「上体の右往左往」 である。下らんことダメなことと言いたいのではありません、ハートは同調するのが仕事だし、閉じたままではそれこそ幽霊になってしまいます。

しかし、想念は自己でしょうか?これはボディワークとハートのスピリチュアルワークの違いの核心問題です。


次回予定「胸」