80年代後半〜90年代前半頃のカルチャーが今、お笑いネタになったりプチリバイバルしたりしていますけれども、あの頃はサブカルチャーってのもしっかりあって、その入口に「宝島」って雑誌があって。ワンレンに肩パッドにヴィトンに扇子ばかりがバブル時代のスタイルではなく、お団子(もしくは三つ編み)頭に黒ブチメガネ、ラバーソールを履いた「ナゴムギャル」がいました。野沢直子はそれっぽかった。大きくくくりゃあキョンキョンや山瀬まみもソッチ側ぽかった。


その当時(87年頃かな)は、焼き肉屋もパチンコ屋も無い原宿が好きでした。六本木のディスコか西麻布のクラブか忘れたがそこいらで遊び、夜を明かして早朝に帰ってきた原宿。足モトの落ち葉と木枯しと、ひとっこひとり歩いていない街並みが、将来のことなんて考えていない十代の俺と俺の友達に、大人びた感覚を伝えてきた。

そんな感じ、ユーロビートとかランDMCとかビースティ・ボーイズとかで踊ってナンパして、そんな熱狂の最中には無かったそんな感じ。

あの切なさをあらわす言葉が浮かばない。あん時も言葉で表現できなかった。でも俺と俺の友達は、ひゅるる と舞う落ち葉を二人で見ていて、二人で同じことを感じていたのでした。