常に鏡が自分とともにあるとします。いつでもどこでも全身を写しますが、見たくはないときには見なくてもよい鏡が。

そういう鏡は、自己イメージのチェックに使われることでしょう。目標、達成、努力、成功法則の実践などに使われます。 おそらくその鏡は、たとえばエックハルトトールとかマハラジとかクリシュナムルティが言うところの「自己観察」には使われません。「自己監察」に使われる。


不意に、自分が全く意図しないときにだけ出現して自分を写す鏡があるとします。一瞬、見知らぬ他人を初めて見るときのようなフラットさで、鏡に写る自分を見ることになるとおもいます。そのときはじめて自分が自分を「観察」します。

何かの実現に邁進したいとき、前述のような鏡は成功するための必須アイテムになることでしょうが、瞑想ですとか内観に使われることはない。自分が見たいものしか見えなくなっていくからです。ハラの黒さだけは見えなくなっていくからです。