カルマとかブロックによる障害なんてものは、閉ざされた肚腰から毒化されて染み出たエネルギーのようなもんです。スピリチャリィな分析なんてしてないで、とっとと肚腰を開ければいいのさ。でも大概において、それができない。なぜか。肚腰を割る覚悟と言ってもよいし何もしない勇気と言ってもよいが、そういうものを保留しておいての、とにかく自分は自分のままでいたいんですね、みんな。
「雨ニモ負ケズ」で始まるあの有名な詩の最後は「そういうものに私はなりたい」で締めくくられていますが、私が無い人物に「私が」なることなど決してありはしないのです。考えてるヒマがあったらとっととそうしろや。
「ハラで考える」的なフレーズがありますが、ハラは、考えないです。