車を運転していて、赤信号で止まったとき、青になるのを今か今かと待ち望んでいると、やたらと止まっている時間が長く感じます。
逆に、止まっているあいだにササッと何かをしようと(カバンの中から飴をとって口に入れるとか)すると、すぐ青信号になってしまう気がします。
どちらにしても、信号は煩わしいものとなる。しかしそうではない場合もある。運転操作が楽しい車とか、初めて訪れる道中を新鮮な気分で走行しているときなどは、ただただ止まっている時間から走り出す時間までをフラットに受け入れる。こういうとき、意識と行為は、濃密なものとなります。

これは何にでもいえることですね。整体やマッサージをしているとき、相手の身体からのメッセージを受け取る作業も同じです。

ケータイの、着信ランプの点滅を、ジッと見ていると、そのペースはけっこう遅い。でも他の何かの事にかまけながら横目でソレを認識している分には結構なペースでピコピコしている。
きっと武道や格闘技では、自分がアセアセしているとやたら相手の動きが早くなって(感じて)しまうはずです。
相手よりも早く動こうとすることが逆に自分の遅さとして反ってくるのは、ゾーンではなくアセリの意識だからでしょう。
さて世の中いろいろ便利になっているけれど、いろんなものがオートマチックになっていくけれど、まるでそれを嘲笑うかのように時間の余裕は無くなってゆく。新商品や新システムのおかげで時間に余裕が出来たわ〜と喜べているのは、束の間です。
その製品やそのシステムが欲しいとおもうその心が、濃密な時間を過ごすことを拒否するためのモノだからです。