腰をギッチリ反りこむ姿勢は、ビシッとして、側頭部にジーンと気持ちのよい刺激がくる。
腰を据える、腰を入れる、腰のある姿勢とはこのことである。

そこまで反らずとも脊柱を立てて腹に重心を下ろす。たぶんこれが多くのメソッドに採用される、いわゆる『ビーイング』というような状態である。重力にすっかり身を委ねた安心感に包まれる。

そしてそのどちらでもないがどちらでもある姿勢が肥田式でいうところの『腰腹同量』であろう。私はずっと今まで、先に述べた『腰の姿勢』を究め抜いたら正中心姿勢になるような気がしていて、腰をとにかく研ぎ澄ましてきました。それは悪いことではなかったとおもう。

が、 正中心姿勢とはやはり『腰腹同量』なのだ。腰の一点張りではない。 腰の緊張と腹の充実、そのどちらもあるようでいて、どちらからのチカラでもないような、力感がどこにも居座らない、どこにも当たってぶつからない、どこから発生してるのかわからないというか、まるで『腹腰の彼方からのチカラ』の出方がある。

『中間』というものは、肉体物質的には存在しません。棒磁石のNでもSでもない中間は、物質として存在していないのと同じことです。腰と腹の中間あたりにある肉体物質は腸でしょうか。腸は腸で重要な器官ですけど、中心力が腸から発生しているようなかんじは、私はしません。
しかしあえていうなら中心ってのは大腰筋の筋腹の間のことであり、中心力ってのは大腰筋の筋腹力のことじゃね?というは感じはします。

実はジェット噴射もしているというブラックホール的な『働き』が、腰の奥、腹の奥から生じるのである。
それを後ろにちょっぴりずらせば腰の緊張、前にちょっぴりずらせば腹の充実として感ずるから、そうしたほうがアタリがつきやすいけど、本質的にソレは肉体のチカラではないとおもう。だってそのとき(チカラが腰にも腹にも寄らないとき)、肉体感覚は無くなるんだもの。
腰や腹にかぎらず、胸にも頭にも当たらない。だから思考も心拍も余計な稼働をしないのだ。もちろん横隔膜も『そのまま』。
この無くなった肉体感覚のことを『虚無』という。それでも在るアイを、『虚空』という。