私はたびたび『型』を否定するような物言いをしますし、じっさい、肥田式強健術の型を壊して独自のシンタイコウ動作をしています。けれども…

昨日、立て膝から腰を下ろして正座をしようとしたその刹那、『カタに入る』という感覚がありました。 法則に入定するというかんじです。そしてそれがきわまれば『虚空に没する』といったような境地です。


それは窮屈感とか恐怖感とは正反対のもので、睡眠状態で無感覚なのともちがうもので、『ここに在るように在る』ことに何の軋轢もない状態です。なにかが肥大するようなかんじでもない。それは『ザ あたりまえ』なかんじです。あたりまえすぎて透明なかんじです。
しかしこうして重力と肉体にいるかぎり、身心が完全透明に至ることはないような気がするけれども、私達は『このようなカタに入った』のだという気もします。存在の一部として。

一個人の、個体から出発する中心力などというものは無くて、個体でいる以上は大中心力の部分力なのです。地球だか宇宙だかの中心力の通った腕や脚、のまた一部の細胞なのです(笑)。