♪だけどいつか気づくでしょうその背中には
はるか今に根ざすための羽根があること



植芝盛平さんは、ピストルの弾をよけるとき、実際の弾よりも早く金色の弾が飛んでくるからそれをよけるんじゃ、そのあとから弾が飛んでくるから当たらんのじゃ とかなんとか言っていたみたいですが。

そんなもの信じられるわけねえだろと思う人が大半だとおもいます。私達はその現場を見ていないし、金色の弾が飛んでくるというその感覚が全くわからないからです。

でももし、ハヤリの脳科学が、金色の弾の正体を暴いたり、あるいはハイスピードなものを超スローにとらえることのできる脳の可能性を説明できたとしたら、俄然多くの人は信用しはじめるはずだ。科学教おそるべし。

「信じるものは救われる」といいますが。たとえばスポーツのちょっとしたスゴ技を見たとき、うっすらと(自分も出来るかもしれない、自分もやりたい)という「身体の予感」が生じることってあるとおもいます。そのとき人は、ジブンジシンをシンライしているのである。身体運動に限った話ではない。


私は若い頃、「半歩踏み出してチョイと拳を当てて相手を吹っ飛ばす」という達人の話を聞いたときや、それに近い実力のある人のクンフーを受けた(小さい身体の人にアッサリ飛ばされたり、簡単にあしらわれた)ときでも、「身体の予感」は生じなかったです。まるっきりそういう質の体運動とはかけ離れた運動しかしてこなかったからでしょう。
でも、そこで私は、「出来るヒトがいるんだから私には絶対出来ないなんてことのほうがあり得ない」とおもいました。伝説は与太話だし私には関係のないことだ、などという考えのほうこそ、信用ならないものだったのです。