以前から私は型稽古みたいなのは好きではありませんでした。だが単純な反復運動が根っから嫌いというわけでもなく、黙々と同じことをやりつづけることだってよくある。

自主的であるかないかで180度気分が変わるのです。
教科書とか義務みたいにルールを示されても、気分はたちまちしおれた花のようになるし、漠然と『気合いだ気合いだ!』とか煽られても、ただ怒りが込み上げてくる(笑)。また自主的といっても、大脳新皮質から指令するばかりの運動は、やり続けられません。


自らの主は自らに命令を下さない


さて昨夜は入眠するまえの瞑想的状態でなんやかんやあって、夢に入ってその続きがなんやかんやあって、起きて、今、今までより尚更に、『型』を失ったようで。


肥田式の型、とか正座の型、とかいうんでなく、存在の仕型があやふやなのである(もともとあやふやではありましたが笑)。

台本も衣裳もないのになぜかすでに舞台にいる役者とか、メニューもレシピも無いレストランの厨房に立つシェフとか、楽譜もなく調律もしていない楽器でいきなり演奏しなければならない音楽家のような気分。
しかし不安でなく瑞々しい気分。

芝居も調理も演奏も、まるでできなくなってしまうわけでなくむしろ、ほんとうに自 主 的におこなわれる。