無鍛練、無修行、無メソッド。



無農薬農法といえば福岡正信さんやリンゴの木村さんが有名ですが、無農薬無肥料無耕作といっても、それは単なる放置ということでもないようで、ではどんな作業をしているのかについては私も具体的には知らないですが、ずっと私は、無為自然と放置の違いについては、ボディワークを通して気にかけていました。

其れを抽象的な言いかたでまとめてしまうならば、「そこにアイはあるんか?」ってことだとおもいます。


♪ほらアナタにとって 大事な人ほど すぐそばにいるの

(モンパチ。曲名知らない)

すぐそばどころかすぐここにいるんだけどね。




20年近く前に、2回、井戸水を掘る作業をしたことがあります。「呼び水」の言葉の通り、ある程度深く掘った穴に水をジャブジャブ放り込みながら、またさらに掘り進めますと、やがて地下水が湧いてくるのでした。

姿勢術や気功は井戸堀りによく似ている。穴を掘削(姿勢術)し、呼び水というか「呼び氣」を練る(気功)。そしてやがて天地の水、氣、チカラと通ずるのだ。

こうしてザックリ言うのは簡単だが、実際はまあ、いろいろある。簡単ではないけどさ。




シンタイカン 2



♪君の夢が叶うのは 誰かのおかげじゃないぜ
風が強い日を選んで走ってきた

(誰の歌か知らないけど、CMで聴いた歌)



たとえば水彩画で「赤」を より赤く見せたいとき、少し藍色を混ぜるのだそうです。

私はよく、赤を求めるばっかりに赤ではないものをことさら排除することに一所懸命になってしまい、にっちもさっちもいかなくなることは度々あります。

さて、脱力脱力といっても、完全脱力するには、死ぬなり、存在が消滅するしかないとおもいます。そこまで望むのならばそれでいいけれど、肉体あっての脱力を体現することが望みであるならば、つまりとても赤くあるためには藍色が必要なんだけれども。それはどーゆーことでしょうかね。多少はリキめばいいのでしょうかね。

そうではないとおもうんだよね。自我とか肉体があるという、それだけでそれが藍色だとおもうんだよね。


シンタイカン



昨今はやたらと書籍やTVで体幹トレーニングを見かけます。さて一体どんな案配なのかねとおもい、そのうちの1つ2つをちょっとやってみた。


楽勝である。楽すぎてトレーニングにならない。
つーかあんなのを10回1セット×3とか5とか、時間の無駄遣いだよ(持久力をつけるという意味ではあのようにダラダラやるのもいいのかも?しれんけど)。おそらく私は肥田式の要素を採り入れたバックベンドと臥禅を毎日1回か2回やっていることで、あのテのトレーニングを生易しいものにしているのであろう。練習にかかる時間は短いし爽快感が違う。

坐法においても、長時間の座禅は必要ないやり方が完成しつつある。
云うなら仙力覚醒法。


ケータイ電池がもう切れる。今回は以上です

前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2019年12月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
アーカイブ
カテゴリー