身体が自分だと思っているかぎり、身体が自分だという気しかしないかぎりですね、脱力は叶いません。だって身体に自分とやらが居着いているのだから。ハラにだろうが頭の片隅にだろうが自分がいてるまま、脱もへったくれもないでしょう。脱力風動作とか脱力的鍛練はできる。健康体操はできます。恐怖が潜伏したままの至福なら味わえます。
‥こんな記事は、心身の不調で整体を受けようかという人への宣伝記事にはもう全くなっていませんね。何なんでしょう。 あ、ちなみに宣伝文的なものは「詳細プロフ」にあらためて書きましたので 。ブログは主に真体功の進化発見発達深化日記といった趣で今は。
真体功。悪くいうなら「我流でいいかげんな気功」をカッコつけて名付けただけです。 ワタシにとって実に良い加減であります。実に。なんにもしなくなるほどなんにもしなくてよくなっていく。
yesウィーキャン、NO因果。
身体は全部まとめて1つなのでしょうか。
私が本当に自分だと感じるのは、両腕と胸(喉と心臓の間くらい )と足裏だけです。朝目覚めた時に、腿や脹脛が他の人のものにすり替わっていても気づかないかも知れません。
時々、「フラの師匠の身体に入ってあの踊りを体感してみたい!」とか、「誰かの感じている痛みを、その人になって私も体感してみたい」とか思うのですが、是非ちぶる先生の真体功もそんな風に体験してみたいですね。先生には何が見えていらっしゃるのでしょう…