…何だ、これは…

寝ている時に感じることのあった超リラックス状態に、立っている時動いている時でもなり得ている。
ある部位の体の使い方を変えた(やめた)。すると仙骨から快感情報が背骨を駆け上がり、脳を満たし、視線がどこまでも遠くへ伸び、花火のように拡散する。思考は育たない。よって不安というものも生じない。不安がないのは不安だとどこかでかすかに誰かが言うが、その声は力無く消える。
「思考」は「リキミ」である故に、その本質は「マイナス」である。「プラス思考」などというものは、ない。百歩譲って有るとするなら、その意味は「激ウマカレーうんこ」と同義である。二百歩譲って有るとするなら、それは起こるものであって、作るものではない。

今のリラックス体で、チカラが出せるのか、試してみる。発勁の要領で、新聞紙を打つ。以前と変わらず拳に沿うように破れる。ただ、この今までの姿勢と動作をするのは、さほど愉快ではない。
そしてこの「イイ感じ」になっているのが誰なのか何なのか、ちょっととらえどころがない。「私」が何かを獲得したのではと考えるとソレはたちどころに所在を失う。

「私」というものの本質も「リキミ」である。私の思考、私の感性、等々というものは「リキミのリキミ」という意味である。千歩譲っても変わらない。
「無我の境地」にしろ「私」にしろそれは起こるものであったとしても作るものではない。