リオ五輪で、アスリートというよりサムライみたいな柔道選手が1人だけいましたね。

求道者であることと、「自分と闘う」人は、ちょっと違います。 自分と闘うのって、つまり弱い自分が確実に存在しているわけで、内戦しているわけで、仮に強い自分とやらが弱い自分に時々勝ったとしても、おそらく、そういう作業を頻繁にしているアスリートは、怪我や故障が多いと思います。


悠久の大我に生きよ

この言葉。例えばスピリチュアルな本に書いてあったら、どうですか。なるほど!そうか!ってなるでしょ。でもこの言葉、戦争に使われました。 国の為に命を捨てろという意味で使われました。

「自分に勝つ」だろうが「頑張らなくていい」だろうが「全ては1つ」だろうがワクワクだろうがヒキヨセだろうが、それがスローガン、アイデンティティ、信念、等々になったら、結局、戦争は終わらないのです。

憲法では戦争は無くならんし、鬱も治らんからね。本当の幸福は脳内の憲法を書き換えれば済むってもんじゃないですからね。遅い、遅い。