愛さん 再びコメントありがとうございます。


頂いたコメントや前記事に引き続いた話を書こう。

私のような民間療法師は、病名を告げることはいけなかったり、「治った」「治した」と宣伝することも問題になってしまいす。
でもそれでいいと思ったりもします。法的な理屈の話はさておき、「治る」ってそもそも何のこと?と、哲学的な問題を切り離した作業はできないものだから。

客に対して哲学を要求するわけでは勿論ありませんが、私が何もしてあげられない例を申し上げますと、

「痛みの深い原因やトータルバランスなどどうでもいい、痛みを確実に消してもらうことだけに金を払う。その他の問答無用。」とか「カリスマ的なウルトラパワーで勝手に何とかしてくれるならお任せしたい。」 的なケースです。ですから、

その人の身心が「良くなろうとするチカラ」を微かにあるいは確かに発しているのを感じとれなかった時、私は、施術を御断りする場合もありましょう。


「治す」ってことを行ってるわけじゃねえんだよなあって考えると、整体、とかヒーリングって名前すら何だか足枷だし、辛気くさい。大体ね、ベッドに寝てもらって手を当ててることだけが、出来る仕事の全てではない。

ヒーリングじゃねーな、チブリングじゃな。