愛さん コメントを有難うございます。


ルネッサーンス。


例えば気功法においてイメージトレーニングは、呼び水的な、とっかかり的な、ビギナーズアプローチとしての役割は果たしてくれると思います。
「大地のエネルギーを足裏から吸い上げるイメージでナンチャラカンチャラ」という想像をしてみることは問題ないでしょうし 、実際、カカトで息をすれば背骨で息が出来、背骨で息をすれば肺で大きく息ができる。 カカトは呼吸器官ではないのだからそれこそ実際の話ではないイメージ力に過ぎないじゃないかとツッコミを入れられそうですが(笑)。本当はもっと適切で科学教の信者さんも納得してくれる言い方があるのでしょうが、これ「比喩」ではあっても「イメージ」では ないのですよ。


でね、話を戻します。とっかかりはイメージ法で 構わないとしても、いつまでもイメージばっかり育んでいると、こじれてきます。単なるオノレの好き嫌いや気分のことを、邪気だの聖なる気だのと本気で(笑)語るようになったり、とにかく道をハグレてしまいます。氣はイコール「気分」や「思い」ではありません。
ポジティブシンキング同様、イメージ法は、いつまでも使うものでは、ないだろうねぇ。


コマネチ。


気象情報を見聞きしていて、思う。異常な豪雨や 暑さ寒さの「理由」を、大陸からのナントカがカントカだの、今年は太平洋の気圧がドーシタからだのと述べていただくのはいいのですが… それ、「理由」じゃなくね? 同様なんですけど、肩凝りや腰痛の理由を、解剖生理学的に考えたり説明したりしなければならない時、それっぽい事を言うことは私もたまにします(笑)が、やはりそれは、「説明」ではあるが「理由」ではないと思う。

日本では熊、アメリカではワニの、人への攻撃が多発しているそうですが、その理由を専門家に聞いても、「説明」しか出来ないんじゃないのかね。
「大地や神が怒っている」んすかね?こういうのも「理由」としてはどうだろうね。今ドキは、ジブリ映画的ファンタジーとしては皆同意しても、現実にはどうだろうね。私達は 、裸足で土と暮らさなくなってしまったからね、そういう比喩も、もうピンとこなくなっちまったのさ。



ダッフンダ。