太極拳やヨガにくらべると、強健術の動作は直線的に見えます。でも、その直線は、自我がひいたセンではない。


私は、動かない正坐であっても、微妙に身体を『練って』います。練らないと『結果』真っ直ぐにならないからです。
練って練って練り込みます。

『結果の直線』でなく『肉体を真っ直ぐにさせた』ことによって生じた硬直疲労が残った場合、前屈運動で補正します。前屈は正座と対照的な動作です。
ちなみに神社参拝の作法に『二礼二拍手一礼』がありますが、礼は前屈動作、 拍手は覚醒を促す動作だとおもいます。
お天道様を拝むとき、私ははじめに礼をするのですが、そこで背中のこわばりを捨て、背中で日を浴びます。それから正面を正体させます。


練るとは、毎日の積み重ねというよりも、溶かす行為です。どろどろに溶かす。蓮は泥から立ち上がり花が咲くみたいですが、それもまた『結果』でしょう。
前回の記事では、ジブンジシンがなんちゃらかんちゃらといった文を書きました。が、自我とジブンジシンは違います。自我を鼓舞させるための記事ではありません。正坐もまた、自我を強化させるための身体づくりではない。