仙術では『錬』と云って、精を氣に、氣を神に変えて、神を虚に還し、虚と自己は合同する、というプロセスがあります。


精、氣、神の、シンタイのルートは、同じではありません。精や氣をなんらかの修行法でどうにかしてたらソレが神に化けるというより、骨盤底にはそれぞれのバルブがあって、そこが開かなければその道は開かれません。そして精や氣は、あくまでも精や氣の道しか通りません。

シンのバルブは、禁欲や腹圧呼吸や意念力でこじ開けられるものではない。そこで人間が唯一行えることは、純粋にシセイをととのえること、だとおもいます。ただのこれを神秘的な術の修行法とかおもう必要はない。



しかし、ただたんにシセイをととのえるとはいえ、それが皆わからないし出来ないのが現実です。ただのシセイをとれるまでの道程があるのが現実です。
さて私は今、正座をするとき、オリジナルの真言を唱えます。

ワキ、サシ、タチ、カムイ、アイ、アオゥン。

これは観念的な作業でなく、漠然と唱える言葉でもなく、具体的にシンタイに指図をしておるコトバであります。
どれがどのような指図なのかを説明するのは長くなるので割愛。


ところで、言霊ってのは、たぶん、母音の響かせかたに、ある意味メカニカルなチカラが発動するのではないかな。

たった一名か数名かは定かでなくどこの誰かもわかりませんが、このブログを真剣に読み込んでくれているであろうかたがいるようです。
アイアオゥございます。