前回、シンタイコキュウは量子転換がどーのこーの、といった説明文を書きましたが、科学的な言葉を使って雰囲気だけ漂わすような説明で、だまくらかしてはいかんとおもい(笑)、量子についてきっちり知ろうと、調べました。

が、
よくわかりませんでした((T_T))


ただし、少しだけ知ったこととしては、量子力学は、ニュートン力学や電磁力学の常識は通用しないということです。

そこでまた私のお得意の、雰囲気的感覚的なことを言わせていただくならば、中心力は、一般物理学では完全には説明できひんだろうということです。以前、このブログで、中心力は引力というふうに書きましたが、もう少し具体的にいうなら、中心力は量子と引力のコラボだ(たぶん(笑))。

しかしともかくじっさいに中心力を体現するには、量子レベルの運動をしないかぎりは、たんなる一般物理学的な運動にとどまるということです。
量子レベル運動は単純ではあれ簡単ではないからこそ、たとえば柔道は階級制で『柔よく剛を制す』も半ば絵空事になっているのではないでしょうか。
合気の達人は滅多に存在しないのではないでしょうか。
一見あんなに単純な肥田式強健術の動作も、一般物理学レベルでは同等風味な動作ができたとしても、量子レベルでは何もできていないのが、我々の凡庸な運動センスだとおもわれます。
量子運動ができないかぎりは、合気はサブミッションとしか捉えられないし、肥田式は肉体運動として行わざるをえない。鈍くて遅い、後の祭りをするしかないのである(笑)

しかしながら、量子これそのものは、頭の良さあるいは運動センスの良さとかで製造するものではないのである。誰もがすでに量子なのだ。そして誰もが引力と全く無関係にここに居るわけじゃない。


肉体力感なんて全然感じていないのに強い力を出しているときや、人に触れているだけ或いは掌をかざしているだけで人の体が治癒しているとき、『時間』や『因果』というものは非常に曖昧です。そのときいちいちこうした理屈など考えてはいない。


ここのところ、やたらと、夢見で得たヒントが実際のシンタイコウに確実な変化をもたらしているのですが、夢の中でしっかり、わりと鮮明な体感や知覚があるわけです。 とはいえそれは、肉体の感覚ではない。肉体感覚では曖昧で鈍い部分を、夢見でとらえているのである。それが、目覚めて起きてからシンタイ感覚としてリアルに活かされるのである。
睡眠中のほうが、量子レベル運動をしやすいのかな。


そして私はここ10年ほど、ずっと、ある重要な勘違いをしていたことも判明した。
しかし、この勘違いという感覚がまた勘違いっぽい。
量子に勘違いなどという質の動きはないだろう。