暗闇でこれをやるのはやはり難しいのです。が、あることが発覚しました。暗闇の中に、ほんのりと豆粒ほどの光がありさえすれば、それを見ていることによって大分安定して立てるのです。


暗い堂でロウソク1本立てて座禅を組むなんていうシチュエーションも、たんにキモチの集中を促す演出というより、具体的にシンタイ的作用をもたらす行なのでしょう。これに気づいてから、毎朝直立して太陽を拝むことも、また格別なかんじがする。


この話をさらに広げてみましょう。
人生は目的とか目標が定まっていると、安定して進むことができる。しかしまた、なんの目標もなく行き当たりばったりに生きているようであるのにもかかわらず、なんだか全く揺るがない気配を併せ持つような人がいたりもする。
こういう人はおそらく、外の物事にやたらとアテドを求めない。基準は自己の内なる光だからだ。内なる光と外の光は共鳴しますので、つきつめれば内も外もへったくれもないのだけれど。


パワースポット参拝や体幹トレーニングとはヒトアジちがった「シンタイカンコウ」の仕方があるんでやす。てゆうかすべからくシンタイカンコウをしていながらにパワースポット参拝でも体幹トレでもなんでもしたらいいのさ。そうでなければ暗闇に瞬く光にだろうが燦々と輝く陽光にだろうが共鳴できないのだから。