野獣を野に放て シンジユウをシンに放て

 

エヴァ2号機の、コード777 ってあるじゃないですかー。リミッターが外れて暴走するみたいなの。 
野口整体の活元運動も、ちょっとしたコード777だとおもうんですよー。『リミッター外し』だとおもうんですよー。 
けれども、活元でリミッターを外したらビースト化するのかといえばそんなことはないが、ビーストっぽくなることはある。。心身のアクを放出するからだ。それは放出作業中の姿であるから、その人の本性というわけではない。 
 
脱力ワークをするうえで、心と体のどちらからアプローチしたらよいか。どっちでもよい。『同じ』だからだ。人は体が傷つくのを恐れるのと同じように、心が傷つくのを恐れる。だからそれらを守ろうとする。つまり自分を守ろうとする。が、 
勘違いしてはならない。心は、 
イシキではない。 

つづく 






隠れ里仙界行 快楽編

 



仙人ってのは、どエロな人達なんじゃないかとおもいます。仙術ってのは、至高のオナ…… 
いやちと違うな 
正坐で得られる快楽は、『自慰』によるものではない。自分を慰めるのではなく、ジシンとまぐわっているのです。 これは単なる言葉のアヤでは無しに、ほんとうにまぐわうのです。ほんとうにキモチがよく、ほんとうに苦行でも修行でもなんでもないのです。『どのように坐るのが正解か』なんてことを、自身の快が何にもないところから考えても、しょうがないのである。 

こないだ珍しく、軽いギックリ腰になりました。キネシオテーピングと自己整復法で、2日位で治りましたが、痛みのある渦中でも、姿勢を決めきった時だけは、痛みが無く、それどころか快感に見舞われていました。 
生きているかぎりはいろいろある。ある一点に没入したままではいられない。だけれども、揺るぎないある一点があることを知るならば、揺らいだとてそれもまた一興、なのです。 









スピ即是体 体即是スピ  1

 

メンタルとかマインドとかいうものも、『自己の内側』ではありません。 たしかにソトヅラでは
ないでしょうけれども、内側のものでもありません。 肉体が外側でメンタルは内側ってんではないのです。目に見えるか見えないのかがちがうだけである。

では内側のものとは何かといえば。スピリットとか、魂とかって言いがちにはなるのですが、ほんとうにそのようなものがあるとしても、大抵、人は、マインドが作り出した模造品のタマシイをあつらえるのです。つまりそれはしょせんマインドであり、自己の内側になど1ミリも入ってはおりません。 

 
次回予定『その二 シンソウシントレーニング』 



テイリキ

大型二輪免許を取得するのは至難の業だった時代は何十年も前の話。一発試験しかなかったからです。教習所で取得できる今はむしろ、大型二輪免許のほうが難しくないとさえ言えるのではないか。 
私が若い頃の教習車はホンダCBシリーズでした。CB400は750よりも低速トルクが薄いから、一本橋とかクランクとかの極低速走行がより難業です。CBだからまだいいけどスズキGSX-Rとかだったらもっと難しくなる。つか無理。  

太極拳のスロー動作の目的は、身体のアクセル&ブレーキワークをチマチマとこなすことに長けることではありません。身体の低速トルクを太くすること、そして大雑把でなく糸を引くような途切れのないトルクをだすこと。すなわち体幹の深層を使う動作の訓練なのである。 
 
私は、高回転でパワーが盛り上がって刺激のあるスポーツバイクより、常用速度で走っていてキモチイイバイクが好みです。 
シンタイコウも同じことなんだよな〜  



 


歩の無いシンタイコウは負けシンタイコウ

シンタイコウのシンカが止まらない。 

いろいろ新たな型が生み出されてはいるものの、基本動作からはブレない、これが重要なのです。散歩が進歩するとジョギングになるわけではありません。 散歩の質が高まらないままに、退屈だからと走り回るのではないのです。 
 
退屈に思える『基本』を、コツコツ行うことが出来ないというのは、忍耐力の無さではないです。『才能の無さ』です。手厳しい言い方でもなんでもなく、才能の無い奴は何をやってもダメです。
 
次回予定『スピ即是体 体即是スピ』 




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