今日の運動




たまにおこなう、新聞紙を1インチパンチで打ち抜くエクササイズ(基本、四枚重ね)は、百回打って百回ミスらないほどの完璧さは未だにない。10回連続も怪しい。左で打ち抜けても次の右打ちで失敗したり、その逆になったりします。たまにしか成功しない程度の精度なわけではないけれど、今日はけっこうミスって、ムキになってやったらさらにミスって、イヤな気分になりました(笑)。

もしも1インチパンチに相当の威力があったとしても、百発百中で出来ないのなら、なんの意味もない。 たとえば相手のいる格闘技のシビアな一発勝負で、そんなミスパンチを放ったなら、こないだの井上選手みたいなカウンターを喰らってオダブツである(笑)。そこで『本来のパンチが打てませんでした…』なんて、言い訳にもならない。


ところで『修行』という文字をよく見てみれば、行いを修める とある。
これは私が修行という言葉から抱くネガティブなイメージとは逆である。行いを修める。つまり、あくせくとなにかしらの行為をしつづけることではないことを示している。

私は『人生は死ぬまで修行』とかいう考えなど、とても受け入れられません。んなもんあり得ない。
けれど、文字通りの意味で修行とは『経験の輪を閉じてゆく』ことであるならば。まったく印象はちがうものになる。

それは特に変わった行いをするとかしないとかいうんじゃなくて、ナニカに達するための訓練をするとかじゃなくて、、、いちいちを全うするということ。修了することである。
インネンをあとに残さないことであります。


今日の私は、ネコが猫じゃらしに夢中になってるようだった。でも因縁が残った(笑)。







シンは自らを助くるモノのタスク。




『凡人は口で呼吸をし、哲人は背骨で呼吸をし、真人は踵で呼吸をする』と、古代中国では云われていたらしいですけれども、『踵』といわれるのは、私が感じるには、もう少し具体的にいうなら足首、内くるぶし、土踏まずの最下部あたり、です。

肥田式の気合応用鍛練では『踵の踏みつけ』『踵からくる腹のチカラ』とありますが、肥田式みたいにおもいきり踵の踏みつけをしなくても、静かに踵からイキをするだけで、チカラは腹に上ってくるのです。加速度度落下にせよ何にせよ、肥田式はある意味せっかちである(笑)。それが肥田式の優れた特色だけれども、繊細な体感が無いままにドタンバタン動いても、何にもならない。

ここは重心のとらえどころです(足底の三角アーチの頂点。足底の三角アーチの真ん中ら辺は、いわゆる重心のおとしどころ。また、肥田式強健術で云う『重心は両脚の中央に落とす』ということについては、後述します)。そしてここから肚に向かって順三角ピラミッドが出来るわけです。そして左右のこれは、阿吽の狛犬でもあるのです。シンタイの副軸です。これにタスケられているのです。これにてヒトは安定を得ます。物理的安定は心理的安定も伴います。



しかしまた、シンタイコウは、順三角ピラミッドボディだけを養う体操ではありません。逆三角も必須です。重心が両脚の中央(シンタイの真下)に落ちるのは、逆三角ケイがあるからです。



よって次回予定
『0次元への帰還』
『シンタイの天津カミと国津カミ』






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