続・豊かな心

近頃、心が豊かであるというのは、それは平穏とか平和とは切って離した、また別のところにあるものと思うようになりました。ごく最近まで私はこれらを混同していたのです。身を置く環境が平和ならば、それだけ心も豊かであると思っていました。

確かに、それも間違いではないのです。しみじみ「ああ心が豊かだわ」と感じる時というのは大概は身を置く環境が平和で、かつ心が安定している時です。苦痛にまみれ、心が荒んでいる時に「豊かだわ」などと感じることはありません。

しかし、これらは比例しているようで別のものです。昨日の自分を振り返り、今日の自分を見つめ直した時にこそ、それを知ることが出来るのではないかと。ごく当たり前のことですが、昨日が無ければ今日もありません。時間の蓄積の末に、ふと気づくものなのかも知れない。

これからも苦しいことや悲しいことは多くあるでしょう。それでも心は豊かであり続けたいと願っています。たとえば平和を平和と理解することが出来なければ、きっとその時点で心が豊かであるとは言えないと思うのです。



今日は無性に甘いものが食べたくて食べたくて仕方がない一日でありました。定期的にこんな日があるのです。我慢ならず菓子類を買って帰りました。普段は菓子類はほとんど買わないのですが、今日は菓子類しか買っていません。

最近になって、「花子とアン」を見ています。主人公の母親の名前がフジであったり、また与謝野晶子の「君死にたまうことなかれ」の詩が読まれたり、その詩が読まれる場面で持ち出された一冊の雑誌まで「おしん」に出てきたものと同じでありましたので驚きました。

放送当時に見れれば良かったんですけれどね。なにせ当時は録画予約が出来なかったものですから。ここ最近になって、ようやく外付けタイプで録画予約が出来るようになりましてね。いやあ、便利なもんですねえ(笑)

豊かな心

昔から好きであったドラマ「R−17」のDVDを、時間をかけまして、中古品ではありますが先日ようやく全5巻を揃えました。

このドラマのDVDは、今やレンタル業界にですら存在しません。もうだいぶ前に廃盤になってしまったもので、もう一度見たいと思ったらネットで探して購入をするしかありませんでした。

このドラマにハマっていた最盛期は、私はまだまだ多感な学生でありました。あの頃は自分も幼かったし、価値観でも何でも、とにかく自分だけがこの世の悲劇のヒロインであるような、それこそ多感な思春期の少女の目線からこのドラマを見ていました。

今では対する大人の目線からこのドラマを見ているところが、あの頃の自分とは大きく違うところです。より深いところまで理解できるというのか、まあ年を取ればそれなりに経験も増えるわけだから当然のことなんでしょうけれど。今見ても、とても良いドラマです。



今日はお寺に行って参りました。去年の暮れの水子の供養以来、改まったお参りに行っていなかったもので。本堂から離れて少し茂みを上っていったところに、ひっそりと八角のお堂が建っていました。そこにお地蔵様が安置されているのです。

溶け残りの蝋燭と燃え残りの線香に、重ねて新たにそれらを立てたとき、同じ運命にあった子供と母親というのが、世の中にはたくさんいるのだということを強く意識しました。そのとき切なさを感じたと同時に、自ずと気持ちが楽にもなりました。

その後は本堂で、ひときわ静かな中でしばらく気を休めてから帰りました。

道中には何件か道の駅もありますから、立ち寄って安い野菜を買ったりなどして、いつになく有意義な時間を過ごしました。ふと咲き乱れる紫陽花を眺めていたとき、自分の心は、自分が思っている以上に豊かであることを実感した。

心が豊かであること、心が平穏であること、少しでも長くそう生きていけることを願うばかりです。

ライアの祈り

私は中国の、どこか町を歩いていました。横断歩道を渡っている途中で歩調が合わない老人を追い越したときのことです。背後から「目上の者を追い越すとは何と無礼なことを」という怒鳴り声が聞こえてきたので、驚いて振り向くと中年の女がこちらに銃口を向けていました。

私は得体の知れない集団に取り囲まれると、無理矢理に背中を押され人気の無い路地裏へと連れて行かれました。私はそこで、何か思想のようなものを教え込まれたのです。「私は日本人だ、ただ旅行に来ているだけ、そんなものは知らない、早く帰して欲しい」と必死で解放を乞うも、なかなか取り合ってはもらえませんでした。

私が拒み続けていると、相手はタブレットのようなものを持ち出して、裸で拷問を受けて泣き吠えている女の映像を見せてきました。「私たちの言うとおりにしないと、お前もこうなるぞ」と脅され、私は気を失いました。最終的には無事に日本に帰還することが出来たものの、教え込まれた思想に完全に洗脳されていた私は家族を殺害し、逃亡することになったのです。

という、よく分からない内容の夢を見ました。単なる夢の話ではありますけれど、これこそが長いあいだ自分が中国に対して抱いてきたイメージそのものなのです。

彼らは現実にチベットやウイグルに対して残酷、卑劣なやり方で侵略を繰り返してきました。いつか日本にも侵略してくるのではないかと、そんな不安が常に私の心に暗い影を落としているのです。

と言いながら、こんなポスターを購入してしまいました。輸入品のレプリカです。中国は嫌いですが、女性は好きです。おすすめの中国映画は「ラストコーション」。



先日、母親と映画「ライアの祈り」を観に行きました。八戸市が舞台のこの映画、はじめ母親が観たいと言い出して私はついでの気分で同行をしたのです。ところが、いざ映画が始まるや母親は居眠り。ついでのつもりで観ていた私の方が最後には熱くなっていたという有り様でした。

私の母親は、どこへ行っても座れば眠くなる体質の人でして。バカ笑いをしているかと思えば、数秒後にはもう寝ているのです。幼い頃からそういう体質だったそうです。本当に可愛い人なんですよ。母親という感じがしないばかりか、たまに自分の子供のように思えてくることさえあるほどです。

「ライアの祈り」は思いのほか素晴らしい映画でありました。思いのほか、と言うと大変に失礼ではあるのですが、正直あまり期待をしていなかったのです。しかしそれは見事に裏切られました。地元が舞台だから感動をしたのではなくて、やはりストーリーに感動をしました。

土偶も出てくるし、きっと好きな人は好きなマニアックな話なんだろうと思っていたのですけれど全くそんなことはなくて、大人の女性のリアルが、シンプルなんだけれどもストレートに描かれておりました。

主人公が抱えていた思いは私自身にも通じるものがあり、とても共感できましたし、観た後でもしばらく余韻が残る映画でありました。

それにしても、ふだん歩いている町が実際に映画の舞台背景として出てきますと逆に実感が無いものです。知っているんだけれど知らないような。
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プロフィール
ギルドさんのプロフィール
性 別 女性
年 齢 36
地 域 青森県
系 統 普通系