落ち着きたい

イギリスの歴史には消極的であった過去が嘘のようで、現在は日常がイギリスずくめになっています。

勉強しているのもイギリス史、視聴しているドラマもイギリス史、最近ハマって食べているパンも青森限定品なのか東北地方まで出回っているのかは分からないが「イギリストースト」という商品名です。

ヘンリー8世からエリザベス1世までの時代は昔から好きで、アン・ブーリンを中心とした絡みのある人間たちを血眼になって調べたりしていたんですけれども、その前後はおよそフランスありきで、フランス視点から見る程度でした。

何となく古代から始めてみた勉強も、現在はエリザベス1世を過ぎてジェームズ1世の時代に差し掛かったところなのですが、スコットランドの歴史も併せて調べる必要が出てきて、だから調べているところです。スコットランドには更に縁が無いと思っていました。

むかし苦手だったものが時間を経て好きに変わることって、やっぱりあるんですね。

これからは後半戦で、ヴィクトリア女王を経て最近崩御なされたエリザベス2世の時代までを学ぶことになると思うのですが、視聴中の「ザ・クラウン」とともに、いろんな想像に酔いしれながら、心地よく勉強できたならなあと思っています。

併せて、フールーでついに「アウトランダー」の新シーズンが配信されているので、それを見るのもとても楽しみです。早くジェイミーに会いたいな・・・。

20代の頃の出来事でした。とある明け方、とても不安になるような夢から覚めて少しずつ意識が戻りつつあった私は布団の中で深呼吸を繰り返しながら若干すすり泣いていたんですね。

時間とともに夢であることを確認して、安堵して、気持ちがようやく落ち着こうとしていた時でした。女性の声で「プラシットゥ」という言葉が、頭の中で響くように聞こえたのです。

(今のは何だ?)

私は目を開けて、とりあえず自分の部屋、自分のベッドに横になっていることを確認してから、確かに聞こえたその単語をネットで調べてみました。

英語でそれらしいものがあり、それはスペルで書くとplacidとなるのですが、これが鳥肌が立つほど驚いたもので「落ち着いた」「平静」という意味合いの単語だったんですよ。しばらく布団の中で放心状態でした。

あとに、もう一度調べてみたらフランスにも似たような意味、似たようなスペル、似たような発音の言葉があって、そちらのほうも怪しい感じはするのですが、自分には西洋諸国のどこかに生きていた前世があったことはほぼ確信しているうえで、もしかしたら英語圏か?とも思ったりしていました。

ドイツに憧れるあまり、ずっとそれを否定していたというか、その出来事を自分の中で無かったことにしていたんですけどね・・・。

あのとき聞こえた声は、前世のものであったのか、はたまた通りすがりの外国人の霊であったのか真相は謎ですが、聞こえた声は何となくまだ若い感じの、透き通るような綺麗なものでした。




一人で暮らしていた頃、海が近いこともあって日が長い季節には海岸線をドライブして帰ることが結構な頻度であったのですが、越してからというもの、買い物をして、急いでシャワーを浴びて、夕飯を作って、そのうちに旦那さんが帰ってきて、ご飯を食べて、愚痴とかいろいろと聞いているうちに時間が過ぎて、部屋に戻る頃には疲れきって寝たくなる、そんな毎日が続いています。

1時間くらいでも時間が取れる時は、ドラマを見たり、気が向けば歴史を調べたりして好きなことをしています。

仕事帰りのドライブが、私にとってはストレス発散というか、気持ちをリセットできる大事なポイントだったんですけれども、それが自分の日常から無くなってしまったことが特につらい様な気がします。

それと、夕飯を作っている傍で旦那さんがゲームで遊んでいたり動画を見たりなどしているのですが、それが何か嫌で・・・。

お互いフルタイムで働いてるのに不公平じゃね?っていう感情が、抑えてもどうしても込み上げてくるんですよ。

結婚を決めた時点から台所仕事は私がやるという約束だったので怒る自分もおかしいんですけれども、だから最近は自分なりに工夫をしていて、とりあえず夕飯を作っている間はイヤホンで音楽を聴いて自分の世界に入るようにしています。

「白い巨塔」のサントラを聴きながら作っているのですが、これが物凄い集中できるんですよ。ユーチューブのコメント欄に「この曲を聴きながらだと茶碗に白飯をよそうのも物凄い事してる気分になる」というコメントがあるのですが、確かにそのとおりだなあ〜って思いました。

男の仕事はまず責任の重みが違います。せめて家の中では穏やかに過ごさせてあげたい気持ちは私も山々なんですよ。頭では理解していても、心がまだ追いついていない状態で・・・。

なにせ、つい半年前までは気まま一人暮らしの自由人だったんだ。この暮らしに心身どちらも慣れるまでには年単位で時間が必要かも分からない。

ユーチューブでお気に入り登録をしているチャンネルがいくつかあるのですが、そのほとんどが一人暮らしの日常ものです。

結婚も、独身も、いずれにしても結局のところ無いものねだりなんですよね。独身の頃は、独身でいることに悩んでいましたから。

右側の記憶

実写版「耳をすませば」を見てきました。

途中「・・・ん?」と思った場面が結構あったんですけれど、なんだかんだ最後まで鑑賞を終えたあとは見て良かったなあと思えた作品でした。

ひとつ、どうにも納得できなかったところを申し上げると、雫が初めて書き上げた自作の物語の最初の読者が何ゆえ聖司であったのか。ここは地球屋のおじいちゃんだから深みがあって良かったのであって、この設定を変えられるとちょっとな・・・という気がしました。

あとは10年越しの国際遠距離ともなればこうなるわな〜ぐらいの、実写だけあって何とも人間くさい、およそ想像していたとおりの展開であったと思う。




先日、親友と一緒にお寺に行ってきました。彼女と訪れたのは8年ぶりのことでした。

並んで正座して、たまにボソボソと話して。何だか途中から笑えてきたんです。素直に、また彼女と来られたことが嬉しかったし、ありがたいなあと思いました。1人のときは30分くらいで帰るのですが、今回は話しているうちに1時間もあっという間に過ぎていました。

このたび初めて途中でお寺の人が本堂に入ってきましてね。時間も夕方近かったので、お寺側もまさか人がいるとは思っていなかったようで驚いていました。

普段から観光客も受け入れている、こちら北東北では古い歴史を持つ由緒あるお寺なので、拝観料を専用の箱に投入すればとりあえずマナーを守ったうえで本堂に入っても大丈夫なんですよ。

本堂の中は夏でも寒いくらいで、ましてや冬も目前の今じゃ凍る勢いなのは分かっていたから自分たちでも膝掛けや羽織るものは持参していたのですが、ストーブをつけてくれた上に、住職お勤め席よりも祭壇に近いところに座らせてくれまして、そこに敷かれていたホットカーペットの電源まで入れてくれました。

住職お勤め席よりも前に座っていいのかと一瞬戸惑ってしまいましたが、せっかく準備をしてくれましたので、ありがたく座りました。

このお寺は、私にとっては今のところ一番のパワースポットなんです。初めてこの本堂に入った瞬間に感じた、あの不思議な感覚が今でも忘れられません。祭壇は他のお寺に見るような様々並んでいる豪華なものではない凄くシンプルなもので、奥行きがあるせいか暗くて仏像の一体も見えないんだけれども、代わりに澄み切った静寂と、引き付けれられる何かがありました。

このお寺にはきっと何か凄いものがいると、私は常々そう感じています。

職場に、若い頃このお寺によく通っていたというオバサンがいるのですが、「今度はあなたが通っているのね」と何だか嬉しそうでした。

話は少し逸れるのですが、自分ごとで今回ひとつ気づいたことがあるのです。このお寺を訪れるとき、私は決まって祭壇を前に右側に座るんですよ。左側だと何故かしっくりとこないことが理由なのですが、以前、前世の記憶らしい教会での映像が見えたときにも自分は同じように祭壇を前に右側に座っていたんです。

右側がお気に入りなのかしら(笑)

今回お寺の人に改めて誘導された位置が祭壇のほぼ真下というか目の前であったから、それもまたしっくりとこなくて、心の中で「私はこの場所から動きたくないのにな」と強く思ったことでハッとしたのやも。




最近はまた狂ったように、お決まりの「ミゼレーレ」だったり、パレストリーナのミサ曲をずっと聴いたりして、頭の中はどこか遠いところを旅している状態でした。定期的にこうなる時があって、こうなると戻るまでにしばらく時間がかかります。

歴史の勉強は、余裕があるとき限定でコツコツ継続中です。やっぱり歴史に触れると元気が出てきますし、歴史に触れている時だけは来世もまた自分に生まれたいと心から思えるんですよね。
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プロフィール
ギルドさんのプロフィール
性 別 女性
年 齢 36
地 域 青森県
系 統 普通系