2022年最後の日記


プリーモ・レーヴィはホロコーストを振り返るとき、収容所の建物そのものよりも貨物列車を見たときのほうが記憶は鮮明に甦ると、学生の頃に見た、ドキュメンタリー番組の冒頭で言っていました。

現在、私の自宅は線路沿いにあって、日夜関係なく貨物列車も頻繁に通るのですが、それを目にするとき、音を聞くときは時おり彼のこの言葉を思い出すのです。

このあいだ、やめようと思いながら「戦場のピアニスト」を見てしまいました。若い頃に一度だけ見たきりであった。過去多くの、ホロコーストをテーマにした映画を見てきましたが、自分の中ではこの作品がいちばん印象に残っていました。




今年はひとことで心機一転の一年でした。

実父が還暦を迎えて、何となく人生の節目を経たことが一つ。残すところ3ヶ月で術後5年を迎えようとしている母親が、先日の定期検査でも異常は見られず、まだ完全ではないですが何となく気持ちを新たにしているところが一つ。

自身も新しい環境に身を置くことになって奮闘の渦中にあることが一つと、またそれに伴って親友との交流が再始動したことが一つです。

今年もまた感慨深い一年でした。

今年に入ってから、ユーチューブの「大愚和尚の一問一答」というチャンネルをちょくちょく視聴するようになって、仕事のことであったり、家族のことであったり、自己内面のことであったりと、すごく指針になるような話を多く聞かせてもらっています。

その中の一つに「親友は必要か」という小題の動画があるのですが、親友を持つか持たないかは人それぞれの考え方の域だから良いも悪いも何とも言えないところだとして、その中で和尚さんは、親子関係も含めた全ての人間関係には利害が存在すると言いました。

一見「当たり前じゃん」と思ってしまったんだけど、話の中身がとても深く、自分は分かっていたようで実は分かっていなかったかも知れないと、考えが改まりました。

私には上手く説明ができないのだけど、簡単に言えば「ほかの人に利を与えられる人間になることが最終的には自身が利を得ることに繋がる」という話でした。

仏教用語に無財の七施(むざいのななせん)というものがあるらしく、そのことについて教えてくださいました。やさしい眼差し、やさしい声かけ、席を譲ることでも良いし、お金や物を持っていなくても、この身ひとつで相手に与えることができる利のことを言うのだそうです。

自分のこれまでの歩みや態度はどうだったか、ちょっと振り返ったりしてね・・・。

家族に対しては、まあ家族だし、困っていたら助けるのが当たり前だと思ってやってきたから利害に悩むことがなければ考えたこともなかったんだけど、では旦那さんだったり、同僚だったり、友人らに対してはどうだったかと問われれば、与えた利に対してどこか対価を求めていたところがあったことを認める。それゆえに消化しきれないものがあって悩むこともあったのだから。

もちろん全ての場面においてそうだったわけではないですが、人間だし、数ある中にはそんな時もありましたよね。

だけど今回この和尚さんの話を聞いて、どこか心が救われたような気がしました。利は自分が得るものではなくて人に与えるものだったのかと、納得できたうえで考え方が少し変わったかな。いや、変えたいと思ったと表現したほうが正しいかも。

何より、まず自身も常づね誰かから利を与えられている、助けられているという事実に気づくことが前提なんだと思いますね(笑)




今年も一年、ブログを読んでくださった読者さまに感謝いたします。

来年は卯年で私は年女になってしまいますが、どうあれ心穏やかに過ごしたいと願っています。心穏やかに過ごすことほど難しいものはないと思っているので。

それでは皆さん、良いお年を。

冬のあれこれ

近所の菓子店でクリスマスケーキを予約してきました。

開拓しなければならないのは銭湯だけでなく、菓子店も大事なポイントでございます。イオンとか、スーパーで買い物ついでに注文することも考えたのですが、自分は昔からそういうのは個人のお店で買いたい派です。

これまで通い続けていた馴染みのお店はもう遠いし、母親の話によれば市が道路を拡張するとかで、その関係で道沿いにあるこのお店もしばらくのあいだ休業することになったんだとか。

クリスマスだからといって何か楽しみがあるわけでもなく、ぐだぐだとケーキを食べて、お酒を飲んで、ケーキを食べて、てな感じになるんだろうなあ。だけどそれが至福だったりもするのよね(笑)

料理は最低限ミネストローネだけはここ数年作っている。あとは買ってきたチキンを添えたくらいにして終わりかな。

子供がいればプレゼントを選ぶとかそういった楽しみもあるんだろうけど、子供いないしね、またそれに憧れる気持ちも今は特に無いです・・・。

いつかドイツのクリスマス市に行くことも夢の一つだったりするのですが、いつ叶うものかも分からないので、カルディで売っているのを目撃してしまったシュトレンを買って気分だけでも本場を楽しむのも良いかも。




職場に、とてもくじ運が強い人がいます。

どのくらい強いのかと言いますと、宝くじでわりと多額が2回当たったり、たった数名にしか当たらない某ポイント10万円相当が抽選で当たったり、競争率が激しい公演のチケットを見事に取れたり、あと何だっけ・・・他にもあったような気がする。

当たる人には当たるし、入るところには入るというか、貰いの多い人生だなあって、その人を見ていて常々羨ましく思っていました。きっと前世では人に与える良い行いをした人なのかも知れないですね。

方や自分はといいますと、くじ運は無さすぎて始めから諦めているし、じゃんけんでも必ず負けるしで、この類にはとことん無縁状態でした。

ところが・・・

先日、非常に珍しいことがあったのです。お世話になっている車屋でご来店スロットキャンペーンというものをやっていたので、誘導されるがまま、スロットを回したところ何と2等が当たったのでした。景品はウェルチのギフトセットであった。

お店の人も「凄いですねえ!」と、私も調子にのって手を叩いて喜びました。飲むなら体にやさしいウェルチが嬉しかったのと、何より「自分にも2等が当たるのか」という意外な喜びで胸がいっぱいになりました。




先日、昼のテレビ番組で飛鳥鍋が紹介されているのを見て、ちょうど4年前にひとり関西旅行に出かけた折、飛鳥鍋が食べたい一心で奈良ではこの料理をメインで提供していた民宿にお世話になったことを思い出しました。

女性一人なのに、置かれていた炊飯器には2合のご飯が炊かれていました。夕飯の飛鳥鍋を存分に味わうため中途半端な間食は一切しなかったからめちゃくちゃお腹は空いていたものの、ご飯の量を見たときはさすがに動揺しました。

このご飯は残ったらどうなってしまうんだろう?まさか廃棄処分?とか考えたら、米愛好の自分は意地でも全部食べました。もう最後は苦しくてその場でしばらく横になったきり動けなかったです。

部屋で休んでいるときも、階下からは住人家族の会話がだだ聞こえでした。自分の日常では触れることのない関西弁。ああ民宿ってこんな感じなんだなあって、また違った安らぎ感があって良かったですね。

また機会があれば京都もそうですが、もっと奈良を歩いてみたい。その時はまた、この民宿にお世話になりたいです。
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ギルドさんのプロフィール
性 別 女性
年 齢 36
地 域 青森県
系 統 普通系