山形歩兵第三十二連隊は、霞城(山形城)に兵営があったことから霞城連隊とも呼ばれた。長きに渡っては、満州でソ満国境の警備を勤めていた。

満州は、現在でいう中華人民共和国の東北部に、かつて存在した地域である。

あとに沖縄、サイパン島に配属になる者と、満州に残る者とで、兵員の運命も大きく分かれた。満州に残った者は、あとに進行してきたソ連軍によって酷寒シベリアに抑留され、多くの者が収容所で命を落とした。復員できた者でも、多くは肺などを患い後遺症を残している。





*ハルビンとユダヤ人

私は、もしや自らは山形歩兵第三十二連隊にどこか縁があるのではないかと日々考えるようになった。仮にそうであるとしたならば、中国らしい風景の記憶を持っていても何ら妙なことではないのだ。

ふと、中学の頃に図書室で「ハルビンからの手紙」という本を手に取ったことを思い出す。このハルビンが、ユダヤ人と何か関係があるのではないかと感じたからであった。

ハルビンは、満州にあった主要都市のひとつだ。果たして偶然か、ハルビンについて調べていくうちに、当時この地には、多くのユダヤ人が暮らしていたことが分かったのだ。

幼い頃より、時と場所を違えて出会ってきたものや感じてきたものが、この山形歩兵第三十二連隊という部隊を通すことで、全てが一本の線になって繋がるのである。

さらに調べていくと、この部隊の終焉の地が沖縄県糸満市内の真栄里とある。そしてこの真栄里には、三十二連隊を悼む「山形の塔」なるものがあるという。

私は、どうしてか自らも真栄里に行く必要があるように感じられてならなかった。自らは、もしや何らかの思いを残しているのではないか、そう感じたのだ。





*着物の女

遺骨収集活動に参加をして以降、私の身には異変が起きていた。

ある日突然、それまで味すら知らなかった日本酒を好んで飲むようになったり、夢うつつで横になっていると、臨場感のある映像が見えてくるのである。たとえば山間を前進する軍列とか、桜なのか梅なのかを表に咲かせた木造の校舎などであった。

この眠っているとも目覚めているともつかない夢うつつの状態にあるときに、前世の記憶が蘇ることは多々あるらしい。前世療法で用いられている、いわゆる退行催眠なるものが、まさにこれではないかと思うのだ。

決定的であったのは、とある夏の日の、西日が照らす夕刻にウォーキングに励んでいた時のことである。

私は、自らも西日に染まりながら、何を考えるわけでもなく、ただ黙々と歩いていた。すると突然、目前にスクリーンの如く映像が浮かんで見えてきたのだ。

まだ若いであろう着物姿の女が、こちらを見て立っている。

(誰?)

互いの距離は遠くて、女の面立ちは判然としないのだが、どこか寂しさが伝わってくるのだ。

それまで平静であった私の心身は、なぜか乱れ始めた。悲しい、とにかく悲しくて仕方がない。動悸がし出し、涙が溢れ出てきた。

それ以上は歩くことが出来なくなり、私は泣き顔を隠すように走って駐車場に向かった。

見えた女については、未だ謎のままである。


青年期D