それは夏休みのことであった。

私の家庭は両親が共働きであったので、私は日中はイトコの家にあずけられていた。

その日は今にも雨が降り出しそうな重苦しい曇天の日で、湿気をふくんだ生ぬるい風がどこからともなく吹き流れていた。

イトコのお兄ちゃんが、家から少し離れた高台にある水道公園に連れて行ってくれた。えらく、そして長い坂道をひたすら登っていった先にそれはあった。

あまり高さのない錆び付いた門を抜けると、そこには青々しい草原が広がっていた。さらに向こうには一段と高い盛り上がりがあって、そこに白いコンクリート造りの管理施設らしい小さな建物がオモチャを転がしたように幾つか建っている。子供が鬼ごっこや、かくれんぼをして遊ぶのに丁度よいところであった。

その風景は幼い私にはもの珍しく、異国にでもいるような、あるいは不思議な世界に迷いこんだような気分を与え、興味を誘った。建物に近寄って平手で壁を叩いてみたり、声を発してみたりすると、それが響いて面白い。

しばらくそうして遊んでいた私は、そこで、どこか馴染むような、懐かしさにも似た強烈な「匂い」が体に付きまとっていることを自覚した。子供ごころにも、なにか妙なものを感じていた。

ふと、私は自らの前に広がっていた町を見下ろした。始終、執拗に体にまとわりついて離れることはなかった湿った生ぬるい風の心地よいこと。

以後、そこで感じた「匂い」は忘れられないものとして私の中に深く根差して、残り続けることになった。





*軍服の男

父方の祖父母の家に行くと、居間の襖上に掛けられている曾祖父の遺影を見るのが、幼き日の私の常であった。

遺影と言っても、それは写真ではなくて実写に限りなく近い肖像画である。今だから肖像画であると理解しているのであって、当時は本物の写真だと思っていた。

肖像画の人物が祖母の父親であることは祖母から聞かされていた。曾祖父は軍服を着ていて、それは凛としており、左胸には誇らしげに勲章が下げられていた。 私は幼いながら、どこかその「軍服の男」に親近を覚えていた。





*匂い

それは授業が午前で終わった日のこと。学校から帰ると、父親が用足しのために出かけるというので私もそれに付いていくことにした。その日も、重苦しい曇天の日であった。

父親が運転に集中している傍ら、私は後部座席で寝転んでみたり、飽きれば起き上がって外の風景を眺めたりしていた。

だいぶ郊外らしい、鬱蒼とした茂みが両側面に広がる幹線道路であった。

灰色の空に向かって手のように伸びている木々を見過ごしながら、気味の悪さを感じた反面で、どこか安らぎも感じていた。いつかの水道公園で感じた「匂い」と同じものがそこにもあった。





*ヒトラー

ひとつ学年が上がると、担任が変わった。それまでは年配の女性教師であったが、今度は若い男性教師である。

あるホームルームの時間に、担任は「ヒトラー」という名前を口にした。続けて、人間の脂肪で石鹸を作ったとか、外に出れば捕らえられるとか、そんな話を私たち生徒に言って聞かせた。何のことなのか、さっぱり分からなかった。

こんなことを幼い子供に話して聞かせたところで果たして理解など出来るものなのか。

未だに疑問が残るところではあるが、しかしこれが後に私の人生に大きな影響を与えることになった「ホロコースト」に他ならなかった。あのとき、どうして彼はホロコーストについて話そうと思ったのか。彼自身が、強い関心を持っていたからに違いなかった。





*ドイツ

今も昔も、音楽室の壁には決まって有名な作曲家の肖像画が貼り付けられている。たとえば私のクラスではこんな噂が流行っていた。ベートーベンの目をじっと見ていると、彼の目が動くというものだった。

皆がベートーベンの目に騒いでいる傍らで、私にはひとつ気になって仕方がないことがあった。彼の出身国にドイツと記されている。よく見れば隣りのバッハも、ヘンデルも同じドイツであった。

「ドイツ・・・」

そのとき私の中で、どうしてかドイツという言葉が強く印象に残った。





9歳の頃に、両親が離婚をした。間もなく母子生活の始まりとなった。私は父方の祖父母の家に行くことも、常としていた肖像画の曾祖父を見ることも出来なくなってしまった。


思春期