BLUE SKYY の夜。

人にはそれぞれ思い出の曲というものがある。家族であれ友人であれ、あるいは恋人であれ、この曲を聴くとなぜかあの人の顔や、共に過ごした時間、風景がリアルに思い起こされてくるような、そんな曲が幾つかあると思うのです。

私は今日、仕事の帰りにチャットモンチーの「海から出た魚」と「染まるよ」の2曲を繰り返し聴きながら帰りました。何年ぶりに聴いたことだろう、ふと思い出したように。

長いあいだ私の日記を読んでくださっている読者様は知っていることと思う当時四十の釣り夫と交際をしていた頃に、盛んに聴いていた曲だったのです。

どうして今頃になって思い出すようになったのか。別れ際は恨み以外には何も感じていなかったのに、こうして長い時間を経てみれば、なぜか良い思い出しか浮かんできません。

現在、とても大切な人がおります。彼のことは心から好きですし、愛しくて仕方がありません。毎日、彼が事故や怪我、病気などに苛まれることが無いようにと心の中で祈っています。だけどどうしてか、ふと釣り夫のことを思い出すことがある。

先日、彼と岩手県の久慈市へドライブに行きました。彼は元カノとやらが久慈市に住んでいたということもあり、その縁で久慈市がとても好きらしい。釣り夫も久慈の渓流は魚がよく釣れるという縁で久慈市がとても好きな人で、よく連れていってくれました。どこか見覚えがあった風景に、私は釣り夫との思い出を重ねて見ていたのです。

久慈市に行ったときには、たぶん互いに元さんのことを考えていたのではないだろうか。それってどうよ?って感じはしないでもないが。



今宵は、帰路の途中で思い余って買ってしまったお酒を飲みながら日記を書いています。釣り夫とよく一緒に飲んでいた、思い出深いお酒「BLUE SKYY」です。避けるように何年も飲んでいませんでした。しばらく見ないうちに商品がリニューアルをしたようで、外装が変わっていたのが残念でなりません。前の方が良かったのに……。

昔の男のことを思い出してしまうのは仕方がないことです。思い出さない方がおかしい。生身が生きているなら記憶も生きています。記憶は消そうたって消せるものではありません。忘れたくても叶わない醜い記憶があるときに、美しい記憶をどうすれば忘れられるものか。

あの人だって、過去に交際をしていた女性との思い出を心のどこかに大切にしまい込んでいて、時にそれを引っ張り出して思い出に耽ることがあるはずだから。それで当たり前なのです。ただ、互いに気遣って言葉にしないだけのこと。

それが大人同士の付き合いなのだろうと、酔っ払っている傍らで思っています。はは〜ん(笑)

悩みが無いことが悩み

と、一度でいいから言ってみたい。



今年に入ってからというもの、なぜだか瀬戸内海に行きたくて仕方がありません。その場所に何か思い入れがあるわけでもないし、思い当たる理由もないのですが、どうして行きたいのか自分でもよく分かりません。

思い当たる理由も無いのに気が向くというのは、これまでの経験上、その場所に必ず自分にとって縁が深い何かがある場合がほとんどでした。

また風の知らせなのか、瀬戸内海に何かあるのだろうか……

私は私なりの

今年は戦後70年の節目の年ということもあり、年明け早々から戦争を振り返る番組があちらこちらで放送されておりました。あまりに見過ぎまして、さすがに気分が悪くもなりましたけれど。

番組名は覚えていないのですが、広島で戦争伝承者を志している若い女性がアウシュビッツ収容所を訪問し、そこで日々ガイドを務めている同年代の女性に話を聞くというドキュメンタリー番組が初旬に放送されていたのです。

伝承者を志している女性は最後に、「いま自分に出来ることは知ることだ」と言いました。その力強い言葉を聞いたときに涙が出てきたのです。勇気をもらいました。

私は伝承者を志しているとか、そういうのではないのですけれど、これからも追及は続けていくし、それを自分なりの言葉で誰かに伝えていくことが出来ればいいと思っています。

「命は宝もの」

「私に青春は無かった」

どちらとも戦争を体験された女性から直に言われた言葉でした。この言葉を心に刻んで、日々を大切に生きていけたら良い。

自分が志す道に、たまに怖じ気づくことはあっても後悔はしません。この地に生まれ、このような生き方をしていることに何か理由があるのだと確信しているからです。



母方の祖母が亡くなってから、私はこれまでにも増して先祖供養について深く考えるようになりました。こうして時、時にお墓参りに行ったり、仏壇に手を合わせることは当然大切なのでしょうけれど、実は一番大切なのは私たちの普段の心持ちであるのかも知れません。

「先祖代々」と聞けば顔も知らない何代も前の先祖をも意識するようで何となく遠く感じるからアレなんですけれど、では近く、親と子で考えてみれば、親は子供の幸せを願うもの。

そう考えると結果的には近かれ遠かれ先祖代々というものは子孫の幸せを常に願っているのではないかと思うのです。そりゃ広い世の中ですから、中には例外というものもあるのかも分かりませんが。

祖母が亡くなってから不思議とそう思うようになりました。供養とは、目に見えた形ではないのだと。もしかしたら祖母からのメッセージでもあるのかな。そんな気がしてなりません。本当に素晴らしいお祖母ちゃんでした。お金にはずっと苦労していたけれど、だからと変に根性を曲げることもなく、慈愛に満ちた美しい人でした。

寝苦しい夜が続きますが…

自宅に洗濯機がありませんから、洗えるものは手洗いで洗っています。たとえばインナー、靴下、夏物のシャツなど、洗った後に自力で絞り切れるものに限りです。厚めの衣類や寝具類はどうしようもないので実家で洗濯機を借りまして、乾燥だけコインランドリーを利用しています。

自宅で手洗いをしたものは風呂場の物干しに掛けまして除湿機と扇風機の直当てで乾かしているのですが、こんな夏の暑い日なんかに洗濯物に扇風機を使っておりますと、部屋にはクーラーなんてものもありませんから、うちわしか無くて不便を感じています。

体力、気力ともに余裕があるときは大して気にはなりませんが、疲れているときは手洗いなんてバカバカしくてやってられないなあと思うこともある。

しかし洗濯機なんて画期的なものが世に出てきたのはここ数十年のことであって、それまでは長らく、皆さん仲良く手洗いだったのですから、そう考えると、これくらいのことで面倒なんて言っているのも如何なものかと思いますね。

先日、我慢ならずギフト用のクッキー詰め合わせを買ったのです。結構、大き目の箱でしてね。一番の理想は丸型の洒落た缶に色とりどりのクッキーが詰まっているもので、缶を抱きしめながらチビチビと小出しに中身を食べることですが、まあ、中身が同じなら箱でもいいや。箱を抱きしめる。

全部、自分で食べようと思います。というのは、「今回だけは独り占めしたいなあ」という欲を抱いていながら、いつもどうしても食べるときになれば家族の顔が浮かんできて、なかなか独り占めが出来なかったからです。

良いのやら悪いのやら、私の家族は昔から何でも分け合いの精神でした。サバイバルを経験したことはありませんが、自分だけは生き残ろうとする精神は恐らく無いと思うのです。思うだけで、実にそうなった時にはどうなるかは分かりませんけれど。

連日の猛暑で夜も眠れなくて困っています。朝は疲れが取れていなくてダルいですし、仕事中も眠くて眠くて仕方がありません。

しかし扇風機を当てていると逆に快眠を妨げられている気がするのです。なにげに音もうるさいですし、直当ては危険だから首ふりにしていますと、風が当たっている時は良いんだけれど、過ぎれば風が当たった部分が異常に熱くなるんですよね。そうすると余計に眠れなくなるのです。

昨晩は、ついに途中で消しました。



大変に気に入っている卓上ランタンライトが、このところスイッチ部分の配線の接触が悪いようで点灯が気まぐれになりました。粘って何度もオンオフを繰り返していれば面倒臭そうにようやく点くんですけれどね。これが毎度のことですから、こっちが面倒臭くなってくるんですよ。

ネットで新しいものを探してはいるんですけれども、候補はあっても「これだ!」というものが見つかりません。やはり今使用しているものが一番好きなんですよ。いくら探しても同じものが無い。

調べてみるとモロッコのデザインらしいんです。購入当時はモンゴルとか、その辺りのものなのかなあと思っていたんですけれど。
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プロフィール
ギルドさんのプロフィール
性 別 女性
年 齢 36
地 域 青森県
系 統 普通系